プリズムの煌めきの向こう側へ

アイマスとかアニメとか声優とかのことを書く、豚になってしまった人間の記録用紙

「ひまわりのストーリー」について

Le☆S☆Caの新曲「ひまわりのストーリー」の歌詞について、既にナカイさんが、丁寧な分析と読解を試みている。

そこでは、Le☆S☆Caのこれまでの曲やゲーム内エピソードとの比較を行いながら、Le☆S☆Caが守られる側から守る側へと成長したのだと論じられている。

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ナカイさんのこの読解には大いに賛同しているところだけど、ここでは、また別の観点から読解してみたいと思う。

また、以下の読解については、もむちゃっぷのツイートにも示唆を受けている。

 

「ひまわりのストーリー」は、777☆シスターズ(以下777)へのアンサーあるいは、777による応援ソングを補完するような位置づけとしての歌ではないか、という観点である。



Le☆S☆Caは、ナナスタでは777のあとにデビューしたユニットである。デビュー曲「YELLOW」では、「きっと長く助走をつけた方が/高くに届くわ」という歌詞があり、777よりもデビューのタイミングが遅かった(=助走期間が長かった)Le☆S☆Caを示唆しているのだろう。

Le☆S☆Caは、777に対して追いつき、追い越そうとしているユニットと位置づけられる。

 

一方で、歌っている曲の傾向にははっきりとした違いがある。

アイドルソングの二大王道ジャンルといえば、応援歌と恋愛ソングと言ってよいと思うが、777は、応援歌をよく歌うユニットであるし、Le☆S☆Caは恋愛ソングをよく歌うユニットであるという傾向がある。

 

ところで、「ひまわりのストーリー」は、恋愛ソングとも応援歌ともとれるような内容となっているのである。

 

 

恋愛ソングとしての「ひまわりのストーリー」

Le☆S☆Caはこれまで「Behind Moon」「トワイライト」「タンポポ」といった恋愛ソングを歌ってきている。

「Behind Moon」「トワイライト」は恋の切なさ・苦しさを、一方「タンポポ」は恋の始まりを歌った曲だ。これらで曲のトーンは異なるが、大雑把にまとめてしまうのであれば、いずれも一方通行的な状態の恋愛を描いていると言えるだろう。

それに対して、「ひまわりのストーリー」は恋人同士の歌になっている。

バスの隣にいて、一緒にどこかへ出かける2人

キミが真実をくれ、かわりに僕が全てをあげる、という関係

あるいは、「どこにだって行かないよ/ふたりで行くんだ」という約束

歌詞からは、おおよそ以上のようなことが読み取れ、一方的に恋焦がれるような状態、というよりは、おそらくは互いを想い合っているパートナーとしての関係を結んだ状態となっていることが分かる。

 

応援歌としての「ひまわりのストーリー」

何をもって応援歌とするかは難しいところだが、「ためらいなど吹き飛ばして/大空に浮かべよう」といったポジティブな語りかけに応援歌的な意味合いを読み取ってもよいだろう。

ただし、応援歌が基本的には、歌い手が聞き手に対してメッセージを送るものであるのに対して、この歌は、歌の中に出てくる主人公が、歌の中の登場人物であるキミに対して語りかける形となっている。

この歌は、一義的には恋愛ソングであり、登場人物である2人のあいだで交わされている言葉が歌詞となっており、聞き手に対する直接的なメッセージとして歌われているわけではない。

その上で、主人公は「キミ」に対して、恋愛的な想いを伝えるのと同時に、「キミ」のあり方・生き方を肯定し、応援・支援している、と言うことはできるだろう。

 

さて、「ひまわりのストーリー」の中で、もっとも応援的な意味合いをもった歌詞として「青空までキミを連れていってあげる」というフレーズがある。

このフレーズは、777の「僕らは青空になる」や、7/20に開催が予定されている武道館ライブのキャッチコピー「青空(ここ)まで、歩いてきた」を思い起こさせるものがある。

「高すぎてあきらめた青空に/今日は届きそうな気がするんだ」「雲が晴れて/僕ら青空になる」と歌う「僕らは青空になる」が直球の応援歌であることは論を俟たないだろうが、「ひまわりのストーリー」はそこに呼応している。

777の曲を聞いてきた者であるならば、これがただの恋愛ソングではなく、777が歌ってきたテーマを引き継いでいるものなのだと直観的に聞き取ることができるのだ。

 

777との対応・補完としての「ひまわりのストーリー」

「僕らは青空になる」と「ひまわりのストーリー」

「僕らは青空になる」はどちらかといえばチームの歌で、「ひとりぼっち僕らの/みんなの物語」とあるように、個人が集まってきて「僕ら」「みんな」になるとあり、恋愛的なパートナーシップよりも集団・チームとしての関係に立っていることが見て取れる。

「僕らは青空になる」も「ひまわりのストーリー」も、僕とキミとでともに青空、つまり高み、あるいは明るい場所へと目指していこう、というメッセージを持っている。

しかし、「僕ら青空になる」というフレーズと「青空までキミを連れていってあげる」というフレーズとでは、ニュアンスの違いがある。

ナカイさんが指摘するように、「YELLOW」ではまだこれから飛び立たんとする守られる立場だったのが、むしろ飛ぶものを手助けする守る側へと成長した、という見方がまずできるだろう。

そしてこの見方に、777のあとを追うLe☆S☆Caという見方を加えると、先頭を切って駆けていく777に対して、その後ろからフォローしていくLe☆S☆Caとしても捉えられるのではないだろうか。

つまり、777のやろうとしてきたことを補っているものとして聞けるのではないだろうか。

 

「スタートライン」と「ひまわりのストーリー」

777の歌としてもう一つ「スタートライン」との対応も考えてみたい。

「スタートライン」は、僕らがまたそれぞれ別の道へとリスタートするという歌になっている。

すなわち、「行き先が(違くても)/信じたら(また会えるよ)/君だけのスタートライン」ということである。

余談だが、「また会いにいくよ」という歌詞に、スタグリとの共鳴を聞き取ることもできるだろう。

「空を見上げてた」「空に歌えばいい」と、この歌でも「空」がキーワードになっていることがわかるが、一方で、新しいキーワードとして「花」が登場している。

「いま 心に咲いたまま/枯れようとしない花があるんだ」「胸の花にそれを撒くんだ」「いま 心で揺れた花」

自分たちを「青空」と結びつけようとしていた「僕らは青空になる」に対して、「スタートライン」はむしろ自分たちを「花」と結びつけているところがある。

さて、「ひまわりのストーリー」はその名の通り、ひまわりという花をモチーフとした歌である。

Le☆S☆Caは、「YELLOW」→「タンポポ」→「ひまわりのストーリー」と、黄色をモチーフにし続けているユニットであり、タンポポやひまわりといった花と、自分とを結びつけてきている。

「ひまわりのストーリー」の1番のサビは、腕を伸ばしているキミの様子が、「光に向かって綺麗に咲いた/ひまわり」のようだと歌っている。

また、オチサビ以降の展開は、ひまわりは雨の日も太陽を見つめている→僕は雨の日も曇りの日もキミを見つけてきた、という展開から、キミを太陽に見立てて、太陽=キミを見続けてきた僕はひまわりだ、と読み取れる。

さらに、光に向かって咲いたキミというフレーズで終わることから、ひまわり=キミということも読み取れる。

空と同一化しようとした「僕らは青空になる」に対して、「ひまわりのストーリー」は花と同一化しているのだ。

もちろん、ひまわりは、太陽に向かって伸びていく花だから、青空を目指しているという点は変わりはないのだが、力点を置いている位置が違うだろう。

空を飛ぶことよりも、地面に立っていることを強調しているように思える。

例えば、「太陽などなくたって/この花に誓うよ」とあるように、「空に誓った」と歌う「僕らは青空になる」とも「空に歌えばいい」と歌う「スタートライン」とも違って、空がたとえ見えなかったとしても、明るい場所を目指すことができるのだと歌っているように思える。

雨や曇りという言葉が出てくることからも「青空」であることを必ずしも必要としていない。

地面にも、光がある。それは(太陽という光に向かう)花の方なのである、と。

様々なキーワードが、777と呼応しながらも、メッセージの力点が、777と異なっている。

このように読むことで、777のメッセージを補完するものとしてのLe☆S☆Caという位置づけがよりはっきりするだろう。


いま・ここを言祝ぐ「ひまわりのストーリー」

この位置づけを可能にするものとして、「ひまわりのストーリー」が恋愛ソングであるということは、一定の意味があると思う。

恋とは何より、「いま・ここ」を特別にする感情の謂であろう、ということだ。

「約束だよ/どこにだって行かないよ/ふたりで行くんだ」

ここではないどこか(空)よりも、ふたりでいられる「ここ」(地面)をより重視する。むろん、その「ここ」の具体的な場所は移り変わっていくものかもしれないが、あくまでも「ふたりで」行くことが前提だ。

また、この恋愛は、一方的な憧れとしての恋愛ではなく、パートナーとしての関係を結んでいる恋愛だからこそ、という面もあるだろう。

 

「スタートライン」と「ひまわりのストーリー」の歌詞の間には、ポケットという言葉が共通して現れる。

「スタートライン」では、「ありがとう」と「ごめんね」でポケットがいっぱいになっていて、「いま 涙がこぼれたら/胸の花にそれを撒くんだ」とある。

一方、「ひまわりのストーリー」では、「キミの笑顔と涙で/ポケットが溢れているから」「いつのまにかキスをしよう」とある。

どちらもポジティブなもの(ありがとうや笑顔)とネガティブなもの(ごめんねや涙)でポケットが満たされている、という点が共通している。

ところが、ポケットを満たしているそれらが、どのように使われるかという点が少し異なっている。

「スタートライン」はわかりやすい。これまでに培われてきた「ありがとう」や「ごめんね」という経験が、つらい時に糧となる、ということだ。

続きを見ると「僕ももう行かなくちゃ」とある。「スタートライン」は再スタートの歌であり、再会の日までしばしそれぞれの道に分かれて進みだそうという内容であることを踏まえれば、この旅立ち=「明日へのスタートライン」を踏み出す糧として、ポケットに詰め込まれた諸々の経験が使われるのだろう、と考えられる。

では、「ひまわりのストーリー」はどうだろうか。

「溢れているから」「キスをしよう」とある。ポケットの中に入っているものは、むしろ2人が一緒にいるという事実を喜ぶために使われている。それは、2人でいられる今という瞬間の祝福だ。

これから旅立つことへの糧という「スタートライン」と、今ここに2人でいることの祝福という「ひまわりのストーリー」という違いがここにはあるのではないだろうか。

 

一緒に青空を目指そう、というメッセージの大枠を、「僕らは青空になる」「スタートライン」と「ひまわりのストーリー」は共有している。

だが、どちらかといえば、「よっしゃ踏ん張ってくぞ・頑張ってくぞ」という感じのある777の応援歌に対して、キミのことを肯定し、2人で一緒にいる今この瞬間こそを祝福することから始まる「ひまわりのストーリー」という違いをみいだせそうだ。

 

今という瞬間の祝福、それはもちろん、ナナシスという作品全体のテーマとしても響き合うものだろう。



母性?

ところで、ナカイさんの読解について一点気になるところがあるのは、守られる側と守る側を、時折、少女性と母性に言い換えているところである

そもそも「母性」という言葉がちょっと取扱注意の言葉ではないかなあと思うのだけど

それを置いとくとしても、「子どものよう」「大人になんかなるなよ」というフレーズが気に掛かる。

これらは「キミ」に対して述べている言葉だと思うが、この歌の主人公と「キミ」は、一緒に歩いていくパートナーの関係にあるように思われるので、主人公もまた「大人になりき」っていない立場だと思う。

逆に、「キミ」の方も「いつかの少年」で「子どものよう」ということは、子どもそのものであるとは言えない。

この歌に出てくる2人は、2人とも子どもと大人の間くらいの存在なのではないだろうか*1

「守られる側」から「守る側」への成長、という見方には大いに賛同するところなのだが、その守り方が「母性」という言葉で言い表すのが的確なのかどうか、という点については疑問を持っている。

*1:「H-A-J-I-M-A-R-I-U-T-A」の「何も知らない子供と/夢を捨てた大人の間でまた少しずつ変わってく」というフレーズも思い起こされる。