プリズムの煌めきの向こう側へ

アイマスとかアニメとか声優とかのことを書く、豚になってしまった人間の記録用紙

ゾンビランドサガ

視聴時に書いてた感想をG+からサルベージしとく

 

ゾンビランドサガ6話
いきなりシリアスにふってきて、やられた感があった
ずっとギャグやるだなんて誰も言ってないし、また、6話も(シリアス一辺倒ではなく)ギャグはあったわけだが。
1・2話がとち狂っていて、3・4話がコミカルな雰囲気のアイドルもので、5話でまたとち狂った方向にいって、6・7話でシリアスなアイドルものをやる構成、と振り返ってみれば、既定路線なのだが、何しろ5話がアレなので
っていうか、アイドルものがこれだけ無数に作られてきた後に、まだやられていないところがあったし、それがゾンビものだから可能になったところがある、というのがヤバイ
一口でアイドルといってもアイドル観は多様であり、それが衝突して困難に陥る、とこれくらい抽象化してしまうと、まあ既にどっかでやられてそうな話だし、ゾンサガ6話も話の構造だけ取り出せば、よくある話だし、7話ではまあ穏当なところに軟着陸するのではないかという気もする。
ただ、どういうアイドル観の衝突だったかというと、昭和アイドルと平成アイドルの対立だったというのが、なるほど、そこくるか、と。
いわゆる三次元のアイドルについて自分は全然詳しくないし、ものの本も全然よんでないのでなんだが、まあ確かに、昭和のアイドルと平成のアイドルって色々と違うよね、というのはなんとなくみんな知っているところではある。
ただ、二次元アイドルというのは、現実のアイドルのあり方や歴史を、そのまま模倣していたりはしないもので、この昭和アイドルと平成アイドルの違いみたいなものが出てきた例はほぼないと思う。
現実のアイドルのあり方をかなり参照しつつ、アイドル観の違いを描いたという点では、WUGは結構そういうとこあるが、あれも同時代の中での違いであって、異なる時代のアイドルは出てきていない。
異なる世代のアイドルを描くという作品自体はいくつか思い当たる。『アイカツ!』のマスカレード、『少年ハリウッド』の初代少年ハリウッド、『ナナシス』のセブンスシスターズあたり。しかし、これらは先輩-後輩関係にあることが重要であって、アイドル観の違いはあまりないし、ましてや昭和と平成の違いというものではない。
二次元アイドルの起源については色々あるだろうが、まあ現在の一大ジャンル化をもたらしたのがアイマスであることに異論の余地はないだろう。で、このアイマスは初代についていえば、昭和アイドル的なものをモデルとしていた、というのはある。
ただ、アイマスの場合、現実のアイドル史とはかけ離れた、アイマス世界のアイドルを作ったというところがあり、アイマスの中では、昭和的なものと平成的なものとがなんとなくシームレスにつながってしまっているところがある。
そもそも初代アイマスは、開発時期的に、平成アイドル的なものを参照する余地がなかったわけだが、ちょうど狭間に位置していたモー娘。への参照はあったりするし、シンデレラなんかはかなり平成的であるわけで、昭和と平成という歴史性みたいなものは捨象されてしまっている。
まあ、昭和のアイドルと平成のアイドル、普通に考えれば同時に存在させられないわけだし、2つの時代のアイドル観の違いを出すのはなかなか難しい。
アイマスでいうと、日高舞とか音無小鳥とかにそういう雰囲気がないわけじゃないけど、舞さんはボスキャラだし、小鳥さんのアイドル活動はあくまでスピンオフだし、内容的にも、現実のアイドル史の反映として見るのはなかなか難しい。
ゾンビだから、昭和のアイドルと平成のアイドルが、どちらも現役世代の年齢で同じユニットに入ることが可能なんだよなーっていう、すごいアクロバット
1から5話で、ゾンビだけどアイドルなんだということを徹底してやって、ゾンビの部分はギャグとして使って、特殊メイクすると普通にアイドルやれちゃうんですよ、ということを納得させた上で、6話で満を持して、ゾンビだからやっぱりもう既に死んでするんですけどね、っていう話を突きつけつつ、既に死んでいるのにアイドルをやるとはどういうことかという話もしてしまう、と。
アイドルとは何か、アイドルをやるとはどういうことかという自己言及は、アイドルもののお約束だし、さくらとかサキとかがアイドルやる理由みたいなのは、ゾンビとはいえ、まあ定番の範疇内に入るが、純子ちゃんと愛ちゃんみたいな形はねえ。
あと、昭和と平成っていうのが、過去と現在の対比なのではなく、過去と過去の対比でしかない、というのもすごくて。
愛ちゃんが2008年の子だというのが。
現代の価値観とほぼ同じではあるのだが、しかしそれでも10年のギャップがある。
2008年だと、視聴者の方もなんとなく「あああの頃か」みたいな感覚も持てるしな
誰かがツイートしてたけど、前田敦子と同じ歳らしいよ、愛ちゃん。
純子ちゃんの場合、時代が変わってしまったことについて戸惑いはありつつも、自分の時代が過去になってしまったこと自体は納得している節はある。もちろん、だからといって自分の中の価値観が変えられるかというのは別の話なわけだけど。
愛ちゃんの場合、自分の時代が過去になってしまったこと自体が、いまだ納得いっていないところに葛藤がある、というのが6話にして描かれる、と。
まあ、パッと見はそこまで10年前と変わってないだろうしなあ
(一番、生前と時代のギャップがあるゆうぎり姐さんは、納得を越えて、「考えるのをやめた」感がある)
この役を種田梨沙にやらせたのも、すごい配役で、私はまだ過去の人間にはなってないというような旨の台詞を種ちゃんに叫ばせているわけですよ
種ちゃんの場合、ブランクは1年ちょっとくらいなわけだけど、生き馬の目を抜く声優業界、ほんのわずかな間ではあるけれど、種ちゃんがいない間にどれだけの新人声優が出てきたことか、そしてまた、種ちゃんの占めていただろうポジションをどれだけ他の声優が埋めていったか。
キャスティングと脚本の関係がどんな感じだったのか窺う術はないけれど、偶然であったにせよ意図的であったにせよ、ある意味でキャストとリンクしているとは言えるわけで、こんなリンクありかよ、と。
メインキャストとしての復帰第一作ですよ、これ。

純子ちゃんの死因は飛行機事故。おそらくモチーフは御巣鷹山日航機墜落事故。作中では佐賀行きの便だし、純子ちゃんの没年は1983年、御巣鷹山は1985年なので、微妙に違うが、まあそうなんでしょう。坂本九が有名だけど、Wikipedia見てみたら、元宝塚女優の人も1人亡くなっているらしい。
落雷の方は落雷の方で、元ネタがあるというのをtwitterで知ったのだけど、EXILEの野外ライブでファンが亡くなった事故が2012年にあったらしい。野外ライブで落雷で死ぬってほんとにあるんだな……。
っていうか、あの絵単体だとわりとギャグっぽい絵なんだけど、全く笑えないものになっているというのがまたあれで
考えてみるとこの作品、開幕で主役が車にはねられて死ぬところから始まり、あれは結構リアルな描写だったのだけど、完全にギャグとして受容されていたわけで、その反転っぷりもすごい
ギャグ・コメディとシリアスドラマをどっちもやる作品というのは、それこそ「笑って泣ける」みたいなキャッチコピーが腐るほどあるくらい、あるわけなんだけど
それはそれとして、全く同じカットが、文脈の有無で、ギャグにもシリアスにも見えるってことを、こんなにはっきりと示してくるというのはすごい。
同じ作品の中でコメディとシリアルの両方をやるとしても、例えば、コメディパートとシリアスパートでは絵柄を分けるとか、そういう区別を立てたりする方が普通で、ゾンビランドサガもある程度そういうところはあるが、愛ちゃんの落雷シーンはそうじゃない。
全く同じカットが文脈次第でギャグにもシリアスにもなる、というと思い出すのはプリリズないしキンプリで、例えば、同じ映画見てるのに、プリリズを見ているか否かで、同じシーンを見ても笑う人と泣く人が出てきたアレ。
ただ、プリティーリズムシリーズの場合、演出があまりにも過剰なので、その過剰さに思わず笑ってしまうか、情報量過多すぎて何やってるのかが分からなくて笑ってしまうか、そういうところがあると思う。二次的に/結果的にギャグとなってしまっているところはあるが、作品の属するジャンルとしては、決してギャグ・コメディではない。

 

まだ山田たえがフリーハンドで残ってんだよなー
あの子の正体が分かる展開は普通に期待されるが、一方で、わからならいまま終わるのであればそれはそれで美味しい、というかなりずるい存在。
6話によって、各キャラの過去を「伝説のうんたらかんたら!」で終わらせずにちゃんと掘り下げるんだーと分かったので、他のキャラもある程度やるかなと思うんだけど、山田たえだけはよく分からなくて、どっちにでも使えるコマが残ってるってずるいなーっていう話

 

確かに、スター性を重視するか、親しみやすさを重視するのかという価値観の対立の話という意味では、黒井社長や美城常務との対立はそうですね
話の構図をある程度抽象化すれば、『ゾンビランドサガ』もそういう話なので、アイマスにも共通点は見いだせる
一方で、『ゾンビランドサガ』の6話見て「やられたな」って思ったのは、時代の流れみたいなものを組み込んでいるなと思った点です。
平成のアイドルである愛ちゃんから見れば、昭和のアイドルである純子ちゃんの考えは、単に自分と価値観が違うというだけでなく、そもそも時代遅れだということで、2人の考え方の違いは、2人が生きていた時代の違いなんだということが、視聴者にも登場人物にも了解されている。

何がよいアイドルであるか、という価値観には色々なものがある、というところは、ある程度いくつかの作品にも見られる特徴だと思うのですが、
その価値観は時代によって移り変わり、過去の価値観は時代遅れのものになってしまう、というところを描く作品は、なかなかなかったのではないか、と。
そして、その時代の流れ、時代遅れになってしまうこと、というテーマをアイドルものの中で描くにあたって、ゾンビという設定がちゃんと効いているのではないか、と。

アイマスは、特にシンデレラは、同時代の中で、色々な価値観があって、そうした価値観が互いに対立することもある、ということを描くにはよいと思うんですけど、時代による変遷みたいなものは描きにくい世界なんじゃないかなーと思います。

 

ゾンビランドサガ7話

6話を見たときの感想でこんなことを書いた

っていうか、あの絵単体だとわりとギャグっぽい絵なんだけど、全く笑えないものになっているというのがまたあれで
考えてみるとこの作品、開幕で主役が車にはねられて死ぬところから始まり、あれは結構リアルな描写だったのだけど、完全にギャグとして受容されていたわけで、その反転っぷりもすごい
ギャグ・コメディとシリアスドラマをどっちもやる作品というのは、それこそ「笑って泣ける」みたいなキャッチコピーが腐るほどあるくらい、あるわけなんだけど
それはそれとして、全く同じカットが、文脈の有無で、ギャグにもシリアスにも見えるってことを、こんなにはっきりと示してくるというのはすごい。

 
愛ちゃんの感電死のシーンから、さくらが車にはね飛ばされるシーンを連想したという感想だけど、7話で、純子ちゃんが車にはね飛ばされるシーンが出てきて、早速答え合わせをしてもらった感覚
いやほんと全く同じ当たり方、飛び方してる
車のへこみ方とか、人体の飛び方とか、まあ多少大げさなきらいもあるものの、わりとリアリスティックに描かれているわけだが
さくらのシーンは、どう考えても話の文脈的にはナンセンスギャグとして配置されている。また、「この作品はこういう奴です(全力でふざけてます)」っていうのを示してもいる(6・7話終わった今としては、それ自体ミスリーディングだったと言えるわけだが)
純子の場合、あのシーン自体は、巽の「あ、しまった」顔と純子の気の抜けた顔とあわせて、コメディ感出てはいるのだけど、しかし、さらに前後と合わせると一応、再び立ち上がる純子、の演出になってはいる
(「再び立ち上がる」を演出するのに車ではね飛ばすこと自体は、ギャグなんだけども)
同じカットだけど、文脈次第で意味が変わるぞっていうのを見せつけてくる
さくらの「デジャブ」っていうセリフは、完全に視聴者のセリフにもなっているわけだけど、さくらの場合は、デジャブによって元の自分に戻るきっかけになるかもってことだけど、視聴者の場合、デジャブによって作品の意味付けがどんどん変わっていくわけで、面白いよなー、と
で、この後のライブで、再び雷
6話終了後に、twitterで検索とかしてたら、純子が愛をフォローするんだろうなとか、雷がまた落ちてきて克服するんだろうなとか、そういう予想をしている人はいて、その意味では、話の展開自体に意外性はないんだけど、それにしたって、ゾンビだから雷に打たれても平気っていうのをあんなにあからさまにやってくるのが強すぎる
ステージは全部燃えて壊れてる、ボイスチェンジャー通した声になってる、身体がなんか光ってる、あまつさえ指先からビームが出る、どう考えても、絵だけ見たらただの無茶苦茶
でも、作中の観客たちが盛り上がったように、そしてトラウマ克服だとわかっている視聴者にとっても、最高にエモいライブシーンになっている
いやーすごいわー

 

ゾンビランドサガ8話~
一見するとギャグにしか見えない絵なんだけど、物語の流れの中で見るとシリアスというの再び
なんだけど、この作品はそれをただの繰り返しにはせず、ちゃんとバリエーション作っているというのが。
純、愛子に続いて死因が明かされたリリィだけれども、落雷、飛行機事故と打って変わって、死因そのものがギャグに近い。でもって、それを知ったサキがゲラゲラ笑い倒すので、ギャグだけどギャグじゃなかったけどやっぱりギャグなのか、みたいな状態になっている。
っていうか、サキは純の死因に対して「伝説やんか……」と呆然とし、リリィの死因に対して「伝説やなwww」と抱腹絶倒すると反応は正反対なんだけど、どちらにも「伝説」というワードを使っていて、「伝説」という語の使い倒し方もすごいなあと思う。
リリィ担当曲のジャンルがミュージカルなのが大正解正義すぎるー
でもって、リリィの話なんですけど
まあ、ゾンビものとアイドルものをあわせるっていうのは、企画としては確かに出てきそうな話であって、「その発想はなかった」レベルではないんだけれども、それはそれとしても、単に合わせるんじゃなくて、ゾンビでないと描けないアイドルものというところまで作り込んできたところが、やっぱりなかなかすごいなという話なわけですけど
ええと、一応もうtwitterなんかだと沢山書かれていて、かく言う自分もネタバレを見てしまった身だし、まあまあここらへんまできたらネタバレとか気にしなくてもいいかなと思うんですが、男の娘についても、ゾンビであることに意味がある男の娘ネタにしているのに至って「そこまでやるか」と。
8話に限っていうと、ゾンビランドサガ全体の中で見ると、まあ落ち着いた話だなとは思うものの、「ははあ、ゾンビを永遠の子どもとして捉えるのか」っていうあたりにはなかなか驚かされた。
ゆうぎり姐さんが「ゾンビってなんなんやろなあ(方言がわからん)」みたいなことを言ったところがちょっと気になっていて、その直後に、さくらが「リリイちゃんはリリイちゃんですよね」とポジティブに捉えてしまうのだが、あそこで、ゆうぎり姐さんは「育たないこと・大人にならないこと」について疑義を呈しているようなニュアンスだったなあと。
もしかしたら、ここ以外でも、ゆうぎり姐さんは他のメンバーと認識が違うところがあるのかもしれないと思ったけど、さすがに過去話数を洗い出すのは骨だ。

ところで、ゾンビランドサガって実はゾンビものなのではなく、吸血鬼ものなのでは。
ギャグものだとすればどんなふうに話を畳むのか、とかはそんなに重要ではないが、ストーリー重視であることが確実なので、やはり畳み方が気になってくるところ。
ゾンビものってあまり見ないのでゾンビものの典型的な結末って分からんけど、普通、ゾンビって倒される側だよなあ、と。しかし、この話でみんなまた死体に戻りましたなんてエンディングはなかろう、と。
で、不老不死の肉体を手に入れた容姿端麗の者たちの物語なのか、と捉え直すと、「あ、吸血鬼ものだ」と。
同じ見た目の奴が、別の時代で再び目撃されるっていうのも、ゾンビというよりは吸血鬼だし
で考えてみると、巽の格好ってかなり吸血鬼的だなあ、と。あれ、マントっぽいし。洋館だし。
1話か2話で「どうやってゾンビにしたのか」という質問に対して、巽は、ゾンビ映画にあるような奴だ、と誤魔化すような答えをしている。ゾンビを作る方法といえば、ヴードゥーの呪いか、そうでなければ近年であればウイルスか、というところだが、むろんそれだけでなく、ゾンビに噛まれるとゾンビになる、というものがある。で、吸血鬼に噛まれても吸血鬼になることを考えると、巽=ゾンビ=吸血鬼みたいなことは考えられそう。
もちろん、作品内で明示的に「実は吸血鬼でした」とは言わないだろうけど(実際、彼女たちは血を吸っていないし)、物語の作りとしては、吸血鬼モチーフの物語に近いものになりそう。

 

ゾンビランドサガ9話
今回もまた面白かった
今回、普通に面白かったので特段コメントなしだが
ヤンキーものなのに、一番最後のサキちゃんの歌いきった時の笑顔は、まごうことなきアイドルアニメなんだよなー
愛ちゃんやリリィでも、歌い終わった時の笑顔が印象的だったけど、この3人の中では一番よかったというか、サキちゃんがアイドルになった瞬間だったなあと。

視聴者的には、麗子さん、かつての友人がバイク事故で死んでるわけだし、そりゃ娘を危ない目にはあわせられないよなあという気持ちで見るけど、サキちゃんはどんな感じだったのかなーと思う。
「麗子の娘を死なすわけにはいかねー」とはもちろん思っているだろうけど、「真理亜は麗子のすごさがわかってねーな」とかも思ってるだろうし、自分の同級生が母親になっているという感覚がどれくらいあるのかよく分からなくて、案外、今の麗子より真理亜に共感してるくらいのところあるだろうなと。

真理亜は、古賀葵さん。めっちゃうまいなと思ったら、佐賀出身だったのか。この作品、ゲストは大体佐賀の声優使っているらしいんだけど、これまで特に確認してなかった。
(佐賀出身声優である吉田有里がわりと毎回モブにいるっぽいんだけど、全然どこにいるのか分からない。あの特徴的な声を隠しているのか)
古賀さん、自分の中では『なりあガールズ』→『アイカツスターズ』→『ゾンビランドサガ』なので、「あのなりあで無茶振りかまされてた子が~」という気持ちになるがw
古賀さんの真理亜はとてもよくて、今回は、真理亜回だったのでは、くらいある。

8話と9話、なんでCGじゃなくて手描きだったんだろうと思ったけど、衣装がこの回だけの奴だからか、ということに遅れて気付いた。*1
っていうか、MAPPA、今期は作画リソースの多くはおそらくバナナフィッシュに割いてて、ゾンサガはそこまで手厚いリソース配分されているわけじゃないと思うんだけど、その中で、すごくきっちり作られていてすごいな、と思う。
決して「ぬるぬる」動くわけではないのだが、よく動いていると感じさせるものになっている、気がする。作画・動画について詳しくないので、感覚的なことしか言えないが。
さすが『ユーリonICE』で毎話毎話、あんだけのフィギュアスケートシーンを作った会社だけある。

 

ゾンビランドサガ10話
ゆうぎり姐さん回かと思わせてゆうぎり姐さん回ではなかったわけですが、やはり気になるのはゆうぎり姐さんで
あの不条理ビンタは一体何なのか、と

ギャグ的描写が文脈次第でギャグではなくなるということを何度となく描き、また、車にはねられるシーンも、違う意味を持たせる形で繰り返している本作において、不条理ビンタが、ほぼ同じ使われたで2回繰り返されたのは何故なのか

1回目の不条理ビンタの相手はさくらで、2回目の不条理ビンタの相手は巽
2回目についていうと、巽がさくらのことをやけに気にかけているということを、ゆうぎりが指摘した直後であることもあり、巽とさくらの関係を何か示唆しているのかな、とか
(この2人が親子なのではないかという予想をしている人を見かけたことがある)

 

11話

ゾンビランドサガ、これどうせ2期あるんだろうなーとかちょっと思ってしまった

それはそれとして、11話は、「ふふ」って笑ってしまうシーンが多くて、それはそれでなかなか楽しかった

メンバーが1人1人さくらに何か言いに来る繰り返しシーンの、笑いとシリアスを交互に行き来させられる感じ
それにしても、ゆうぎり姐さん、オチがベタw
最後の巽がさくらに話してるシーン、さくらがいつ手すりから落ちるのかワクワク、じゃなかったハラハラしなかがら見てしまったw

 

ゾンビランドサガ最終回見た
ファンからの応援がさくらの記憶を呼び覚まし、そして圧巻のパフォーマンスへ、というベタベタな展開、だがそれがいい! という感じの最終回だった
雪の重みで会場の一部が崩壊し、ボロボロになったステージの中「ヨミガエ」るに至る流れ、落雷で壊れた中実施したステージの反復ではあるのだけど、緊張感がひしひしと伝わってくる作りになっていて、その後、愛を筆頭に各メンバーが立ち上がりアカペラで歌い、そしてさくらが「ヨミガエレ」と声を振り絞り、そしてサビで一気に解放されるカタルシスが非常に気持ちよかった。
CGモデルの表情付けがうまくてなー、というのもある。
たとえばラブライブ!であれば、CGと手描きを使い分けて、表情芝居は手描きでとかあったと思うのだけど、今ではCGだけでも全然いけるようになった部分があるなあと。

露骨な2期誘導をどう思うか、というのは確かにこの全12話を評価するにあたり、チェックポイントにはなると思う。
なんというか、2期の目途がある程度たったのでこうなったのではという疑いが拭えない感じがしてしまうのは、よくないっちゃよくない
(2期決定のアナウンスはまだなされていないわけで、あるとは限らないが。声優さんたちがやけに2期2期言って、暗に買え買え言ってるのは、なんとなく今ボーダーライン上にいるのかな~とかを想像させる。特に何の根拠もないが。/声優さんたちにとってこの作品が楽しい現場であったのだろうこと自体は否定しない。実際に楽しくて本心から2期をやりたくて「2期をやりたいんです」と発言するのと、売り上げ的に「もう少しで2期いけるかも」と示されたことを受けて「応援してください」と発言することは別に両立するので)

で、元々この作品の特性として、そもそも伏線を回収しなくてもそれはそれでアリかなと思わせるところがあったかなとは思っている。
中盤以降、シリアス側に少し振ったところがあるので、ゆうぎり姐さんの過去話もほしかったなあとかはあるものの、まあわかんなくても別にな、と。

twitterで某氏がちょっとふれてたけど、たえちゃんってのは確かにかなりセンシティブなキャラクターで
特にCGモデルのダンスシーンの時に顕著なんだけど、何らかの障害があるように見えるんだよな
当初は、ゾンビ化していて人間の意識が戻っていないからというエクスキューズがあったけど、最終回はもう完全にそういうの取っ払われていたし。
本編で触れる必要はないと思うので、公式においては無視しても構わないとは思うのだが、twitterで「山田たえ 障害」で検索してもヒット数少ないなあー。あ、「たえちゃん 障害」にすると結構ある。

*1:しかし、1回しか出てない衣装でCGになっているものもあるとさらに遅れて気付いた