見ました、という記録メモ
まあ、正直何を書こうかなというところで、非常に面白く見たんですけど、いざ何か書こうと思うとなんとも。
妻が、「アマゾンズS2だった」と言っていて、それは確かに、そういう喩えは成り立つなーという感じ
個人的には、愛か正義か、天秤にかけると、愛に傾いてしまうのだという『筺底のエルピス』6巻のくだりを想記していたりした。
だから、Fateが好きな人はエルピスも好きなはずなので、是非読んでほしい、というのとw
Fate人気のなんたるかの一部がなんとなく分かってきたような気がした。
凜と桜、慎二と桜、士郎とイリヤ、3組のきょうだいの話なんだなーといういうのを改めて認識した。
きょうだいではないふりをし続けたきょうだい、実のきょうだいではないきょうだい、きょうだいであることを片方はわかっていないきょうだい(そもそも実のきょうだいでもないが)。
アマゾンズやエルピスにはなくてFateにあるのは、このあたりの話だろうなー。もちろん、きょうだいだけでなく親子の問題もあるけど、Fateはやっぱり3つの「家」が関わってくるので。
時折「Fateは、今ではメジャーだけど元々エロゲーで」という言葉を、どういうニュアンスで言っているかはともかく、見かけることがあり、「まあ確かに、元々はエロシーンがあったわけだしな」程度に思っていたのだけど、
桜というキャラクターに関していうと、設定の根本がかなり、ポルノ的なところから作られているっぽいキャラクターなんだなあということがわかった。
単に、主人公を慕ってくる大人しめの後輩、というだけでなく、昼は貞淑・夜は淫乱みたいな定型(?)の亜種だったのかーと。感覚が敏感になる云々も、媚薬ポルノの亜種だろうし。
「私、処女じゃないんですよ」という台詞の存在自体は知っていたんだけど、実際にいうところ見たら、なんかちょっと唐突感あるというか、その流れでその話になるのか? と見ていたその時は思ったのだけど、後から思い返すと、自分が穢れていて、士郎に受け入れられるべきではない存在ではないということを伝えるために絞り出した象徴的な言葉でもあったのかなーとは思い返した。
慎二はまあ弁護しようがない奴ではあるんだけど、もともと邪悪な存在だったというよりは、そうならざるをえなかったんだなーということがなんとなく察せられるように描かれているので、切ないところではある。
間桐という家の魔術の特徴がいわれて、「なるほど、だから令呪担当の家なんだなー」ということがわかり、その家が、聖杯を作ろうとするとああなっちゃうんだなーと。いやまあ、聖杯は他のとこが作ってもやばい物件ではあるけど。
・結局、綺礼の目的ってなんなの?
・桜が「あの人(綺礼)には私を倒せない」と言ってたのはどういう意味?
・桜の令呪ってどこにあるの?
http://sakstyle.hatenablog.com/entry/2017/10/17/193536
今も大してFate知識はないんだけど、それに輪をかけてFate知識がなかった頃に見ているはずだが、その割にポイントおさえたメモをとっているな、と思った
この頃はまだzeroを見てなかった。