プリズムの煌めきの向こう側へ

二次元アイドル・アニメ・声優あたりの話題中心で、主に備忘用のメモ

ナナシスエピソード4.0から考える2つの価値

ざっくりとした見取り図的なものを

 

エピソード4.0の最終回では、出資者という名前で、いかにもラスボスみたいな人たちが登場してきたわけだが、資本の論理、あるいは「システム」とでもいうべきものが、ナナシスにおいては対峙すべき相手なのかもしれない。

システム、というのは、まあかなり抽象的な言い方になってしまうけれど、まあ、ここでするのは抽象的な話なので、どういうものかは雰囲気で察してください。

 

「システムに取り込まれず、自分が自分らしくありつづける」

ざっくり言って、ナナシスのテーマの根幹はこのあたりかな、と

元々、アイドルものをやるつもりではなかったけど、アイドルものになったみたいな話を茂木は初期にしていたと思うけど、じゃあ、アイドルものという意匠を取っ払ったときにも残る幹って何かというと、これくらい抽象的なものかなーと

 

「アイドルはアイドルじゃなくてもいい」

っていう時に、前者のアイドルは、自分らしくある姿としてのアイドルであり、後者のアイドルはシステム内存在としてのアイドルかなーと

まあ、アイドルっていうのは、ショービジネスの一形態なので、お金も動くし、色々な業界関係者も関わってくるし、世間からの目みたいなものもあるし、そういう諸々としての「システム」。そのシステムの中に位置づけられるものとしての「アイドル」

で、「高い人気」とか「勝者であること」とかが、システム内における価値となる。

 

一方で、人間として追い求めるべき価値は、それとは違うものでしょ、ということをナナシスは絶えず言っていて、茂木の言葉で言うならそれは「ポケットの中にあるもの」かな、と。

進路に迷ったときに指針にすることができる信念とか拠り所とかそういったもの。それは具体的には、友達との思い出かもしれないし、自分がこれまで積み重ねてきた努力かもしれないし、あるいは、それこそ音楽なのかもしれない。

これを、ポケット内の価値とでも呼んでおくことにしよう。

 

システム内の価値ではなくて、ポケット内の価値を増やそう、というのが「システムに取り込まれず、自分が自分らしくありつづける」ということだし「アイドルはアイドルじゃなくてもいい」ということなのだろう、と。

 

AXiSって、ネロ、アグリ、それ以外でこの二つの価値に対する捉え方が違っていたのではないか、と。

ネロは、明らかに「システム内の価値」について否定的なのだけど、それを示すために「システム内の価値」を一度自分で手に入れた上でそれを否定することで、「システム内の価値」がいかに無内容であるかということを示したかった、みたいな動機だった。

で、彼女が「ポケット内の価値」を持っていたかというと、結構微妙なところで、彼女にとって「ポケット内の価値」はたぶん姉なんだけど、それを「システム」によって毀損されてしまったと感じたから、「システム」を否定し虚仮にするような計画を打ち立てた。ただ、それってネロ自身の「ポケット内の価値」に根差していたわけでもないよね、と。

他の4人は、「ポケット内の価値」を持ち合わせていなくて、「システム内の価値」をもっぱら集めようとしていた人たち

AXiSが解散したところで、彼女たちはやっぱりまだ「ポケット内の価値」は持ち合わせていなくて、それはこれから集めることになるのだろう、と。でも「それはまた別の物語」

アグリはその点では特殊で、ネロから「ポケット内の価値」をもらっていたし、「システム内の価値」については執着がなかったように見える。

 

あと、AXiSを巡っては、ネロ、Dr.END、出資者という三者が、一時的に彼らの利害は一致していたけど、それぞ別の思惑をもって動いていたということになると思う。

「包囲網」云々は、Dr.ENDのある種のハッタリだったのかなあという気はする。

というか、システムを出し抜くために利用しようとしたネロ、セブンスに匹敵するアイドルよ再びという夢のためにシステムを利用しようとしたEND、システムがうまく回るならなんでもいいよという出資者なので、「包囲網」というのは出資者のことを意味してはいるのだろうけど、当の出資者側に「包囲」している意図があったかどうかは不明だな、という意味で。

 

今回、コニーの言動から推察するに、セブンスは確かに「ポケット内の価値」を持っていたんだけど、システムに翻弄されてしまって、その価値を毀損されそうになった。

だから、セブンスを解散したのかな、という気がする。

ニコたちにとって「システム内の価値」は別に魅力ではなかっただろうけど、彼女たちはそれを集める能力に長けていたんだろう。だからこそ、システム側もついてきた。でもまあ、どこかに齟齬があった。

ネロも、「システム内の価値」自体に魅力は感じてないけど、システムを破壊するために「システム内の価値」を集めてみせる過程が必要で、それでセブンスを模倣してみせた。

でもじゃあ、どうやってシステムを壊せますか、出し抜けますか、勝てますかっていう時に、セブンスもネロも失敗してしまう、と。

 

それじゃあ、777☆Sはどうなのか、というと

そもそも彼女たち、「システム」にこれまで気付いてなかったわけで

今回、「AXiS」を通してようやく、「システム内の価値」を追いかけるゲームが存在していたことを知ったわけで

で、「システム内の価値」で勝負するんじゃなくて「ポケット内の価値」で勝負するよ、というところまでは進んだんだけど、AXiSとの勝負という面ではまあいいとして、システムとの勝負という点では、それで大丈夫か、という問題が残る

セブンスはうまくいかなかったわけだし。

 

コニーは、二つのものを守ろうとして片方しか守れなかったとハルに語っているんだけど、その二つのものって一体何か

「システム内の価値」と「ポケット内の価値」の二つ? いやまさか? 後者はともかく前者を守ろうと思っているわけはない。

「人のポケットに何かを残していくこと」と「自分のポケットの中にあるものを大切にすること」の二つだったのでは、という仮説。

そして、「人のポケットに何かを残していくこと」をするために「システム内の価値」を高めていくのは、有効な手段だと、当初は思っていたのではないだろうか。

でも、「システム内の価値」は必ずしも「ポケット内の価値」にはならないんだな。

 

777☆Sって、「自分のポケットの中にあるものを大切にすること」によって「システム内の価値」に抵抗することはできたかもしれないんだけど、「人のポケットに何かを残していくこと」への自覚的手段はまだあんまり持ってないのではないのかな、と。

 

「人のポケットに何かを残していくこと」って、直接的にすることはできない。

何かうまいこと言っても、それが相手に伝わるとは限らない。

でも、なにか「作品」を通して、間接的に、時間差をもって、ポケットの中に残ることはできるのではないか。

 

「またあした」という曲は、777☆Sの曲ではなくて、あの世界における、他の誰かの曲だったわけだけど、それがたまたまハルのポケットの中にはあって、そして、あの会場のお客さんの中にもあった、ということだと思う。

「またあした」という作品を作った人は、「人のポケットに何かを残していくこと」ができた。

 

「ハルカゼ」という曲は、あの時点で何かをどうこうできてはいないんだけど、数年後、アカネとカホルという2人の少女のポケットには何かを残していくきっかけとなった。

 

だから、「またあした」と「ハルカゼ」という曲は、「人のポケットに何かを残していくこと」を成し遂げているとは思う。

ネロやAXiSのメンバーのポケットに入れることができたか、というと、それはまた別の話になっちゃうし、そんなにすぐ効く話ではないんだと思うんで、そこの苦さというか、AXiSの救われなさみたいなものは残ってしまう話だとは思うんだけど。

 

システムに取り込まれないでやっていくって、じゃあ一体どういうことなのかというと、

「売れる「商品」を作るのではなく、心に残る「作品」を作ること」だ

とひとまずは言えるのではないかなあと思うんだけど

それを、777☆Sの物語としてどのように描くのか、というふうに考えると、どのような達成基準になるのか難しいところだなあとも思う。

その点で「ハルカゼ」は、結構それを達成しているのかもしれないんだけど、やっぱそれって、作中の時間を飛ばしているからできることで、リアルタイムの物語としてはなかなか。

 

 

追記

「システム内の価値」カンストで特に頓着しておらず、元々「ポケット内の価値」への向き合い方で色々あったけれど、そこについても解決した4Uは、だから強い、というかワイルドカード