プリズムの煌めきの向こう側へ

二次元アイドル・アニメ・声優あたりの話題中心で、主に備忘用のメモ

「Fall in Love」とエピソード5.0のターシャ

SOLことSeason of Loveのデビューシングル「Fall in Love」がリリースされた。
現在アプリで配信中のエピソード5.0とあいまって、めちゃ名曲

曲を聴いて受けた印象だけで雑に語ると、明るさと切なさが入り交じった曲で、一言でいうとエモい


まず、この曲は秋の歌となっている(実世界でのリリースは2月だってのにw)。
ナナシスの物語全体の展開が、起承転結の「転」を超えたところにあって、それゆえのナナシスの「秋」という位置づけがまずある。
エピソード5.0の作中の季節もまた秋である。
ナナシスはこれまで春の歌、夏の歌、冬の歌はあったけど、秋の歌は初めてかもしれない(ハロウィンの歌はあったが)。
秋という季節自体が、明るさと切なさの二重性をもった季節だと思う。
夏が終わり少しずつ寒くなっていくという点では少しアンニュイな季節であろう。秋の夜長、読書の秋、芸術の秋というように、内省的な雰囲気が似合う季節でもある。
一方で、今既に述べたように芸術の秋、あるいはファッションの秋、そして紅葉など、色鮮やかな明るい季節ということもできる。
ナナシスの告知文などでは、黄金の季節という形容がなされていたし、「Fall in Love」のジャケットイラストもまた、黄金色に色づいた銀杏によって明るく輝いている。

 

曲調としては必ずしも切なさがある曲ではない。
アイドルユニットのデビュー曲としては、正統な明るめのポップソングといえる。
何より軽快なリズムで始まるイントロが印象的だ。
このイントロ、ほんと好き
また曲展開の特徴としては、2サビキャンセルがあげられるだろう。このあたりも展開もなかなか心憎い。
明るい雰囲気の曲ではあるのだが、一方で盛り上がりすぎないようにおさえているようにも感じられる。

(この2サビキャンセルのところの「色づいた木々たちや~教えてくれるから?」の部分は歌詞もすごくいい)

 

タイトルに「Fall in Love」とあり、歌詞の中にも「恋」という単語が度々出てくるが、しかし、いわゆる恋の歌ではない。
ナナシス曲の作詞クレジットには、SATSUKI-UPDATEとカナボシ☆ツクモという2つの名義が使われているのはよく知られるところだが、「Fall in Love」はSATSUKI曲である。
SATSUKIとカナボシの違いとして、これは例外も多く含むので、大雑把な傾向の話でしかないが、メッセージソング系とラブソング系というのがあると思う。テーマソングになりそうな曲はSATUSKI名義でクレジットされていることが多い。
そういう意味では「Fall in Love」もまさしくSATSUKI曲の系譜にあると言えるだろう。
つまり、ロマンチック・ラブとしての恋愛を歌っているわけではなく、新しいユニットとしての始まりを歌った曲なのだ。この歌詞の中で「恋する」と言われるとき、誰か特定の人への思慕ではなく、世界のことを好きになる、というような意味合いで使われている。

何を好きになっているのかというと、具体的には「澄んだ枯れ葉の音を吸い込む朝が好きで」「濡れた落ち葉の色でにじむ夕陽が好きな」とそれぞれうたわれている。
どちらも美しい光景には違いなく、ポジティブな感情ではあるが、しかし、春の花が芽吹く様子でもなく夏の輝く太陽でもなく、枯れ葉や落陽という、ある意味ではむしろ終わりを象徴するようなものを挙げていて、それをユニットのデビュー・スタートを告げる歌として掲げている、というのがこの曲の絶妙なところだと思う。

 

そしてそれはやはりSOLというユニットが、ナナシスの秋にデビューするユニットだということと強く結びついている。
「輝きの季節に/恋して生きるの/たとえば真実(ほんと)の恋に/いつか落ちちゃっても」という歌詞を聴いたとき、とてもグッときたのだが、この「輝きの季節」は二つの意味にとれるのではないかと思う。
素直にとれば、輝きの季節とは黄金の季節たる秋であり、これは秋を生きるSOLにとって今を言祝ぐ歌詞だ。
一方で、自分がこの歌詞を聴いたときに思わず想起してしまったのは、夏への憧れだ。
ナナシスにおいて夏への憧れとは、777☆シスターズへの憧れに他ならないだろう。

これはエピソード5.0でターシャに典型的に見られる態度だ。

 

SOLを演じるキャストが出演したLINE LIVEで、ターシャを演じる高岸さんは、5.0のターシャを「神視点」と形容していた。その後、それが切ないところでもあるとも述べていたが、エピソード5.0におけるターシャの年齢設定がその「神視点」っぽさを生んでいる。
物語の主人公になりやすい年齢というのがあるとして、ナナシスにおいて(あるいはこのようなジャンルにおいて)、それは圧倒的にティーンエイジャーである。
777のメンバーの大半は、2034年時点で10代半ばであるし、エピソード5.0におけるシラユキとマノンも同様だ。
一方でターシャは、2034年時点では12才、2043年の時点では21才と、ちょうど物語の主人公たりうる年齢が外されている。だからこそ彼女はちょっと引いた立ち位置、「神視点」ともいうべき俯瞰的なポジションを占めているように見える。
12才のターシャは大人の女性に憧れている。そして、当時のナナスタには憧れたりうる先輩たちが大勢いて、ターシャは彼女たちに囲まれていた。12才のターシャにその実感がどれくらいあったかは分からないが、21才のターシャは「美しい人たち」と述べている。
ある程度大人になってしまえば、15才も16才も(つまりティーンエイジャーというのは)子どもでしかないのだが、10代前半の頃、少し年上の先輩というのは非常に大人びて見えるもので、そしてその印象というのは、自分が当時の彼らの年齢を追い越してしまった後でも変わらず持ち続けていることがある。
おそらくターシャもそうで、12才の彼女は777を始めとするナナスタの先輩たちを憧れの目で見ていて、当時の彼女たちの年齢を上回った21才の時点でもやはりその憧れを持ち続けているのではないだろうか。


そんなことを連想してしまって「輝きの季節に/恋して生きるの」というフレーズが個人的には少し切なく響いた。
それは輝かしかった過去への憧れで、切なくもあるが美しいものでもある。ターシャにとって2034年はきっと美しい思い出のはずだから、それは切ないといっても決してネガティブなものではない。恋するという表現は、遠いものへの焦がれる気持ちと、それを楽しむ気持ちとが入っていると思う。


そしてもちろん、この曲は過去を懐古するだけの歌ではない。新しい出会いへの希望を喜ぶ歌でもある。
過去、今、未来の全てに向かっているといってもいいかもしれない。
だから、始まりの歌ではあるのだけど、両義的で、始まりといってもゼロからのスタートではない。彼女たちには過ぎ去ってしまった夏の思い出がある。それでも、その秋こそが彼女たちにとっては間違いなく始まりでもある。

 

ターシャとマノン・シラユキとの年齢差ってのもこの点では効いていると思う。
2034年時点で、ターシャは12才、マノン8才、シラユキ7才で、実はそこそこ年齢差があるのだが、2034年時点ではその年齢差を感じない作りになっている。ターシャは12才にしては背が低いし、また日本語非ネイティブなので日本語が怪しいというところがあって、マノンやシラユキとあまり違和感なく一緒にいたのかもしれない。
ただ、おそらくなのだけど、2034年の記憶という点では差があって、つまりエピソード5.0において、ターシャは明らかに当時のことを覚えていて、既に述べた通り、当時の777への憧れをずっと抱いてきていることがうかがえる。
対して、例えばマノンが、ハルから言われた言葉を忘れいていたことに象徴されるように、当時の記憶が薄れているように思われる。
21才時点で思い出す12才の記憶と、16・17才時点で思い出す7・8才の記憶だと、前者の方がより鮮明なのではないかなと思う。
もちろん、シラユキやマノンも、ハルちゃんやコニーさんっていうお姉さんがいたなあとかは覚えていると思うし、憧れは憧れだったとは思うのだが、12才から見る16才と、7・8才から見る16才というのもやはり結構な違いがあるように思える。
自分はもともと、ターシャとマノン・シラユキってコドモ連合で一緒にされがちだが、7・8才と12才ってほんとはもっと年の差ない? というのを常々思っていたのだが、エピソード5.0という9年後の世界になってから、7・8才と12才の年齢差を感じさせる展開がくるとは予想外だったので、そこに唸らされていて、「憧れの季節」にどうしても二重の響きを聞き取ってしまうのである。

 

エピソード5.0において、その感情の動きを特にピックアップされているのは、マノン、シンジュ、モモカであって、そしてその彼女たちの間で右往左往しているという点でシラユキは主人公ムーブをしているといえる。
これに対するターシャというのは、やはりちょっと引いたポジションにいるように見える。
特に彼女は、幼い頃からのトンチキな日本語とか、大人になってからはウォッカグビグビお姉さんになってるとか、そういうキャラ付けによっても、ちょっと誤魔化しているところがあると思うのだが、めちゃくちゃ深みのあるキャラクターになっていると思う。
実際のところ、彼女は14才の頃からアイドルとしては成功をおさめており、さらには獣医学部の学生もやっているという類い希なる才女なのであり、彼女なりの物語があったはずなのだが、それでも彼女は、ナナスタの夏にはあと一歩間に合わなかった、生まれるのが少し遅かったというポジションに自分を置いているんだろうなというところがあって、まさかターシャがこんな深みのあるキャラクターになるとは思いも寄らなかったというか。

 

めちゃくちゃターシャの話をしてしまった
2043年SOLで一番好きなのはシラユキです

 

カップリングに入っている「コドーモ・デ・ヒーロ」って曲は、4人のコドモ連合時代の歌となっており、こっちも紛うことなく名曲なんだけど、こっちは聞けば一発で分かる感じの曲なんで。

コドモ連合組は、ユニットデビューまでとても待ったわけだけど、それに対して十分以上の待遇というか
ナナシスという物語全体においても、これだけ重要度のあるユニット、777以外に他にないし
すごいなと思うんですが
最後にちょっとだけチクチクと言っておくと、これだけコドモ連合改めSOLを名エピソードと名曲で華々しくデビューさせて、この後、エイ、ジェダ、カヅミどうするの、これを超える待遇はもう無理でしょ……となる。
エイとジェダは今年のバレンタインでも組んでるし、同じユニットを組む必然があるけど、カヅミはマジどうすんだよ、という(っていうか、このタイミングでエイジェダガチャやるのはなんなんでしょうね)。
というか、この3人についてどうにかせぬまま、このSOLのエピソードに何故GOを出したのか。

 

と、ここまでは最終回を読む前に書いていたところ

 

最終回は最終回でちょっと情報量が多すぎてまとめきれないのだが

それぞれのキャラクターに「報われ」があって、それがカタルシスになっていたなあと思う

その点で、ターシャはやっぱりシンジュからの言葉が「報われ」であったなあと思う。

上で、ターシャは「夏」に憧れを抱いてきて、そしてそこに自分が入れなかった感覚を抱いてきたんだろうなと書いた。

それは、シンジュに対する羨ましいという気持ちにもなっている。

だから、「輝きの季節に/恋して生きるの」というフレーズが、過去を抱いて生きるという意味に感じられた、という話だったんだけど

あそこでシンジュから「仲間だ」って言ってもらったおかげで、ターシャにとっての輝きの季節が「夏(過去)」から「秋(現在)」に変わったと思うと、よかったなあ、ターシャって

エピソード5.0は、マノンが、モモカが、シラユキが、シンジュが、それぞれ過去から未来へと走り出す話だったと思うけど、ターシャについても、過去から今、そして未来へ向けてって大きく心持が動く話だったと思うので、その点で決して「神視点」にばかりいたわけではないと思う。

 

直接は描かれていないけれど、9年間、ターシャとシンジュは何かと一緒に活動してきたのだろうけど、SOLを組むまではユニット活動はしてなかったんだろう、と

多分、お互いに777の存在は大きかったのでは、と思うから。

そこからSOLというのが、今を一緒に走っていく仲間となったんだな、と。

 

あと、ターシャについていうと、いずれは若王子の誘いにのって研究者になっていくのかなというところもあって

それはまさに、アイドルはアイドルじゃなくてもいい、じゃないけど、ナナシスが他のキャラクターでも時々垣間見せていた、彼女たちのアイドル以後の進路の可能性の話で

「たとえば真実(ほんと)の恋に/いつか落ちちゃっても」のフレーズは、もちろん素直に読めば、ロマンチック・ラブとしての恋の話だろうなと思うのだけど、一生もんの仕事に出会うことを指しているともとれる。

ターシャはいつかアイドル業はやめて、研究者か獣医になるのかもしれない。それを「真実の恋」というと、アイドル業が仮初の恋だったみたく聞こえるかもしれないけど、アイドルをしていた輝きの季節を胸に抱き続けることで、例えば何かライフワークになるような研究テーマとか獣医としての仕事に出会った時に、それに突き進んでいける、ということかな、と。

それこそ若王子の生き方がまさにそれになっていて

燃やし続けたものが黄金になるんだっていう若王子の言葉ともまた呼応するなーとか。

 

ナナシスのテーマは、輝ける一瞬で

つまり、輝きはいつかは終わってしまうものなのだけど、終わりがあるから美しいとかそういう話ではなくて、一瞬でも輝きがあれば、それが終わってしまったとしても、その輝きへの恋によって生きていくことができる。生きることに意味が与えられる、ってそういう話だった。

輝きは終わるけど、その輝きを元手に未来へと進んでいくことができる、人生は続いていくんだ、と。

 

エピソード5.0の最終話のあと、TL眺めてたら「ナナシス完」みたいなツイートをいくつか見かけたけど、ほんと、テーマ的には語りきってしまったんじゃないか感

このあとどうなってしまうんだー


書き忘れ、というか、ナナシスとは全く関係ない話なんだけど、記録用にメモっておこうと思って

アプリのイベントとして、Fall in Loveを走ってたのと同じ週に、エビストは、Silent Worldイベだったんだけど

Fall in Loveがエモい曲なのと対照的に、SilentWorldはいい意味で全くエモくない曲だった。何もかもがエモくない。いい意味で、というのは、展開上エモくないことが求められる曲なので、これが正解

エモくはないんだけど、最高の音楽としての終わりへの誘惑、というのはそれはそれで陶酔を誘うよね、と