プリズムの煌めきの向こう側へ

二次元アイドル・アニメ・声優あたりの話題中心で、主に備忘用のメモ

MIU404

最近ネット配信が始まったので見始めた。
去年『アンナチュラル』を配信で見ていて、確かほぼ同じ時期にテレビ放映されていたので気になっていた。
アンナチュラルの脚本家ならびにスタッフによる作品で、かつ、アンナチュラルの登場人物が一部登場しており、同じ世界を舞台にしていることもあり、続編的な位置づけ
時に社会問題も絡むような様々な事件の解決を1話完結で描きつつ、コミカルさとシリアスさを適度に混ぜ込んだ感じやそのまっすぐなメッセージ性などの作風もアンナチュラルから引き継いでいるわけだが、作品の設定などにも相似が感じられる。
アンナチュラルは、未解決の不審死を解明するために作られたUDIという架空の会社を舞台にしていたが、MIU404は、警視庁での働き方改革のために作られた第4機動捜査隊という架空の組織(実在するのは第3まで)が舞台になっている。
アンナチュラルでは、過去に恋人殺しの嫌疑をかけられていた中堂や、医者の親を持ちつつ何か過去の闇がある風の若者でUDIでバイトをしている六郎がいたが、MIU404では、過去に相棒殺しの嫌疑をかけられた志摩や、警察庁刑事局長の親をもち4機捜に新人として配属された九重がいる。
しかし当たり前だが違いもあって、中堂の過去についての話は、シリーズ終盤から最終話にかけて展開してくのに対して、志摩の過去の話は、シリーズ中盤6話で解決を見る。あるいは、六郎と九重それぞれの親子関係は異なる。悪い大人に騙された(というのともちょっと違うのだが)格好でもある六郎の相似は、むしろ成川岳に見いだせるかもしれないが、ともかく、登場人物の設定などが似ているけれど違う、というのも、前作の視聴者としては見ていて面白い要素の一つ。


アンナチュラルは石原さとみが主人公であったのに対して、MIU404は星野源綾野剛のW主演で、いわゆるバディものになっているのが大きな特徴
個々の事件だけでなく、この2人の織りなす関係・感情が、このドラマの見所となっているのは間違いないが、それだけでなく、2人の上司であり女性初の隊長である桔梗が、過去の事件で救いそこねた情報提供者と同居しているというのがまた、関係性! という感じで面白いw
見始めた後に知ったのだが、機龍警察ファンが機龍警察みを感じて楽しんでいたらしく、そのあたり、確かになーと感じさせるところがある。 


全体を通して「間に合う・間に合わない」というのがテーマとなっている。
というかこのモチーフが何度も変奏されることで、6話(志摩過去編)とか8話(蒲さん編)とか9話(井戸)とかで感情を揺さぶられる。
何となく、パトレイバーでの後藤さんが言ってた「警察の仕事は本質的に手遅れなんだ」というのを思い出したりしてたが、その話とはちょっと違う。伊吹のいう「間に合う」は防犯・予防とは少し違う話だから。
ただ、警察が警察たらんとする時に、正しくあること(ルールを遵守するなど)と善くあること(人を助けること)とをどのように両立させていくかという物語ではあったかもしれない。
豆治と桔梗隊長のやり取りもその変奏と解釈できる。豆治は一見、ただ主人公たちにとっての障害としての上司役にも見えるのだが、彼は彼なりに警察をやっているとも言える。


第1話からばっちり面白かったが、前半の方でとりわけ面白いのはやはり4話の青池透子編だろう。というか全11話の中で単発で見るなら4話が一番面白いのではないか。
Twitter(作中ではツブッター)は上から読むのではなく下から読む、というのがトリックになってるわけだが、これ見てる途中で「みんな逆に読んでないか」という違和感はあるんだけど、視聴者にそれを確信させないようにうまく隠しながら進めていたように思う。
隊長は、青池が絶望の中で死んだと最初思うのだが、実際にはそうではなかったという話だけど、じゃあ青池は希望を見ることができたのかということについて、映像的にはある程度答えは出ているものの、あの映像部分はあくまでも推測として描かれているものだとも言えるし、そもそもセリフとしては誰もはっきり言わない。伊吹が「俺たちが決めることじゃないでしょ」みたいなことを言って終わるんだけど、そこらへんがやはりMIU404のよいところだなーと思う。
ところで、全部見終わった後にこのことを思い出すと、これのネガが久住のラストだとも言えるのかもしれないと思ってしまった


志摩の過去編が6話にあるとは思わなかった。もっと後半にくるものかと。


7話は、話の展開はわりとストレート(実は違ったみたいな展開がない)な代わりにまさかのアクション回だった。警棒アクションが見れるとは。


で、8話
6話見た後、伊吹を救う志摩の展開来い! と思っていたら来た!
蒲さんが「できることは何もなかったよ」というのは、しかし、救いの言葉でもあったのではないか。例えば志摩にとっても。


9話はサスペンスだった
一時間ずっとハラハラしっぱなしというか
RECがネットにあげたむぎちゃんの画像に誰か気付いてくれーと思いながら見てたw


10話での陣馬さんと九重くんの会話は、踊る大捜査線みがある
爆発フェイクだけれど、見ていて確かに合成っぽい感じはしていたのだけど、そもそもこれTVドラマなので合成っぽくなるのも当たり前といえば当たり前なのでスルーしてたら、ほんとに作中でも合成映像だったいうオチで、やられた感あった
久住が蝶を捕まえ損ねて蝶が飛び立って、蝶視点と思しきドローン空撮で久住を撮ってるシーンがあって、あれ久住についての何らかの象徴表現だったと思うけど、あれがどういう意味だったのかが分からない


11話、伊吹が走って、志摩がチャリ漕いで、九重くんがメロンパン号走らせて久住を捕まえるの、4機捜感あるクライマックスでとてもよかった。
久住というタイプの悪と最後どのように決着をつけるのか、というのは物語作る上で難しいとこだよなと思う。全て解決してしまうと、あの悪や謎のすごみが失われてしまうし、かといって、例えば死んで終わりとかにしてしまうのもどこか安易
お前らの物語にはならないと言って完黙してしまうのはそのどちらにも陥らないバランスとった締め方であったと思う。賛否分かれそうだけど、ドラマが終わったあとも久住って何だったんだと視聴者に考えさせる作りだったと思う
っていうか久住って直接的にはドラッグの密造しかしてないんだよな。いや、ドラッグの密造も十分すぎるほど悪なんだけど、彼の能力のとてつもなさに対して微妙に小さい。


「感電」って志摩と伊吹のことを歌っているようで、歌詞を読むとちょっと違うんだなー
「Lemon」も、てっきり死に別れた恋人のことを歌っているように思ってしまいがちなんだけど、別に歌詞の中では相手死んでないのに似てる(?)