プリズムの煌めきの向こう側へ

アイマスとかアニメとか声優とかのことを書く、豚になってしまった人間の記録用紙

ガルラジと「つぶやき」2

ここまで、わりとコンテンツの外側というか建て付けというか、そういうものの話しか書いてなくて、内容について書いていなかったので、それについても少し。

 

成人の日前後の「つぶやき」について

チーム徳光

まず、チーム徳光の手取川海瑠

成人の日の前日に、明日は母親の店の手伝いをするからつぶやけない旨の投稿がなされる。

彼女の母親は美容師なのだが、母親の美容室を番組中にCMしており、リスナーはそのことを知っている。

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ただし、仲良し親子なのかといえば、そうではない。海瑠は、地元の金沢を離れ有名になりたいと思い、ガルラジに応募した中学2年生。彼女にとっては、母親もまた、ダサい地元の一部であり、ダサさへの忌避は、番組中でもこぼれている(親の店のCMをさせられるなんてありえない、と)。

また、これは小説の方に書かれていることなのだが、実は彼女の母親は、美容師になる前は有名なラジオパーソナリティだったようである。

海瑠にとっては憧れの職に就きながら、それを辞めて地元の美容師になってしまった母親のことを、海瑠は理解できないが、第2回の放送終了間際に、少なくともパーソナリティーであった頃の母親に対して共感の端緒があったようなことを漏らしている。

そうした流れを受けた上での、明日、母の店を手伝いますというつぶやきなのである。

そして、実際14日(成人の日当日)に彼女のつぶやきはなく、15日に再びつぶやきが再開されている。

 

チーム双葉とチーム岡崎

成人の日の前日ないし当日の昼頃に、チーム双葉の玉笹三姉妹のうち末の妹である花菜が、「来年はみーちゃんとのーちゃんが成人になる」旨をつぶやいている。

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みーちゃんとのーちゃんというのは、花菜の姉にあたる、玉笹彩美・彩乃の双子のことである。

その上で、成人の日の夜に、チーム岡崎が、「チーム双葉の二人が今年成人」というつぶやきをする。

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春花は、チーム双葉の二人が成人に近い年齢であることは知っているが、正確な年齢を知らず、なんなら彼女らの「つぶやき」も見ていなかったわけだが、さらにその後、桜泉真維が、彩乃から成人式は来年であるとDMで言われたということをつぶやく。

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ここから、この「つぶやき」SNSには、DM機能があり、チーム間でそれを送ることが可能、玉笹姉妹はほかのチームのつぶやきも見ていることがわかる

というわけだ。

このことについては、下記のふら_おさんのツイートを参考にした。

 

 

 

二兎と年魚市

ところで、こうした他チームへの言及があると、考えたくなってしまうのが、二兎と、チーム富士川の年魚市(あゆち)すずとの関係だろう。

そもそも、ガルラジの5つのチームは、愛知、静岡、石川、山梨、三重とそれぞれ別の場所で活動しており、基本的には、互いに面識もない。

その中で例外なのが、二兎と年魚市だ。年魚市は、チーム富士川、つまり静岡在住なのだが、出身地は愛知県岡崎市である。そして、小説を読むとわかるが、この2人は実はかつて同級生だったことであり、今回、ガルラジという企画が行われるにあたり、ライバルチームにかつての友人がいることにそれぞれ気付いている。

現時点でこの2人はまだコンタクトを取り合っていないが、今後、何らかの形でそのような展開があることは予想されるだろう。

また、「つぶやき」を見ていると、この2人はともに第3回放送で、つまづきを経験したことがわかる。

学校の放送部としての活動もガルラジも、友達同士で楽しくやってきた二兎は、楽しいだけではダメなのだろうか、という問題に立ち止まる。

一方、ラジオパーソナリティーになることを夢見て、高校生ながらすでに高いプロ意識を持つ年魚市は、自分のコーナーが同じチームのほかの2人のコーナーに比べてリスナーの反応が悪いことにショックを感じている。

果たして2人はこれらをどのように乗り越えていくのだろうか。

 

とかいう記事を準備している最中に、こんなつぶやきが現れてしまった!

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「つぶやき」のリアルタイム感

例えば、チーム富士川の白糸によるこの「つぶやき」

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同じチームのほかの2人に動画を紹介し、その後、2人からの反応がなかったらしいことがわかる。

この二つの「つぶやき」の投稿は、時間をあけて行われており、リアルタイムでこのアプリを確認していると、白糸が2人の反応を待っていたが得られなかったんだな、ということがわかる。

しかし、タイムスタンプがないために、あとから見た人には、この時間感覚はおそらく伝わらないであろう。

また、つぶやきの削除も行ったことがあるようで、リアルタイムで追わないと楽しみ尽くせないような仕掛けがなされている

  

 

ガルラジは、全6回が予定されており、今まさに第3回まで終わるかというタイミングで、はやくも折り返し地点に達している(5チームを2週に分けて放送しており、先週、岡崎と富士川の第3回が放送され、今週、徳光、双葉、御在所の第3回が放送される予定である)。

まだ間に合う。

しかし、本当に急いでくれ

 

 

チーム御在所

触れるタイミングを逸して、最後になってしまったが、このチームもこのチームで独特「つぶやき」の使い方をしている

というか、彼女たち自体、5つのチームの中ではちょっと独特である。

彼女たちは、カグラヤ怪奇探偵団を名乗っており、実は、ガルラジでの活動以外に、怪奇事件を解決するという活動を行っている。

このガルラジ世界の中におけるインターネットでは、カグラヤ怪奇探偵団というのは、有名なwebサイトとその運営者らしいのだ。

番組中では、探偵団としての活動内容はあまり話されていないが、「つぶやき」の方を見ると、彼女たちが事件を手掛けていく様子が垣間見えるようになっている。

「つぶやき」だけで、一つ別の物語ができているのでは、と思わせるという意味では、チーム御在所が、もっとも「つぶやき」の情報量が多いといってもいいかもしれない。

一方で、他のチームのような、キャラクターの普段のやり取りが見え隠れするような感じではないので(これはこれで、チーム御在所の普段の感じなのかもしれないが)、他のチームと少し雰囲気が違うのである。

そもそも、「ネット上で怪奇事件を募りそれを解決している」という設定自体、他のチームと比べて、言ってみれば、フィクションの度合いの高い3人組である。

ただ、番組の方は必ずしもそうではなく(むしろチーム徳光の方が、ドラマチックな展開をしているという点でフィクション度合いが高い)、そのあたりに妙なギャップのあるチームだが、つぶやきもまたちょっと独特なところがあると言えるだろう。

 

タイムスタンプのなさ

タイムスタンプがないがゆえに、今まさに追っていかないと、そのリアルタイム感が得られない、という特徴を持っている、というのはすでに述べたところだし、多くのガルラジリスナーが声を大にして、できるだけ早くガルラジに触れるべきだと叫ぶ理由ともなっている。

ところで、このタイムスタンプのなさ、というのはしかし、それ以外にも効き目のある仕掛けなのではないだろうか、というのをぼんやりと考えている。

タイムスタンプがないことで、現実とのリンクを免れている。

この作品、非常にラジオ番組っぽい演出や、ポイント制による一種のサバイバル、そして「つぶやき」などから、ある種のリアリティみたいなのが立ち上がっているわけだが、しかしこれ、ある種のARっぽさと捉えるか、VRっぽさと捉えるかという問題があるように思える。

というか、上述の特徴は、ARっぽさとして捉えられるものだと思う。

つまり、現実とフィクションとを併存させ、現実とフィクションとをリンクさせているようなものではないか、と。

しかし、一方でこのコンテンツは、作りこまれた物語作品でもある。

それで考えているのは、現実とリンクすることでリアリティを得ているというより、現実を模倣・擬装・エミュレートすることでリアリティを得ているのではないか、と。

ラジオ番組の擬装であり、SNSの模倣である。

何が言いたいかというと、ガルラジは、現実世界から切り離されても成立しているということだ。

タイムスタンプがないからこそ、現実世界の日時と関係なく、彼女たちのつぶやきは存在しうる。

そして、もう一つの懸念は、現実世界のリスナー(つまり我々)のリアクションは、どれくらい反映されるのだろうか、という点である。

メールを募集していることやポイント制を敷いていることは、リスナー参加型コンテンツであることを期待させるものである(リスナーの参加は現実とのリンクになる)

ただ、公式アプリから回答できるアンケートは、一つのチーム内で、どの評価が多かったかというのは分かっても、それぞれのチームがどれくらいの評価を集めたのか、他のチームと比較できるような数値は公開されていない。

物語の展開は既にある程度定まっていて、現実のリスナーからのアンケート結果とは無関係に、すでにランキングの推移は組み立てられているのではないか、という想像も成り立つ。

そして、これはほとんど確かめようがない。

 

もっとも、このように考えたときに、際立ってくるのは、むろん藤田さんの存在であり、そして、twitter検索「お寿司ボート」なのである。

ガルラジと「つぶやき」

sakstyle.hatenablog.com

 

第一印象としてこういう記事を書いたわけだが……

 

 

 

上の記事にも少し書いてあるけど、「ラジオ番組っぽさ」「生っぽさ」「声優コンテンツっぽさ」がめちゃくちゃよく効いているコンテンツであるのは確かなのだけれど、一方で、非常によく、構築された、作りこまれた物語作品なのであって、

あれあれといった感じで、その物語世界へと引き込まれていく感じがある。

そのためにうまく機能しているのが「つぶやき」なのだけど、この「つぶやき」という、一見大したことなさそうな部分が、何でこんなにもうまく効いているのか、というのもまたなかなか難しい。

 

「つぶやき」というのは、ガルラジの公式アプリを入れると見ることができるもので、その名の通り、twitterライクな見た目で各チームごとのタイムラインが作られている。

完全にフィクショナルなSNSなので、現実のリスナーからその「つぶやき」に対して何らかの反応をすることはできない。

また、タイムスタンプもついていないので、そのつぶやきがなされた正確な日時も実はよくわからない。

が、今日昨日であれば、成人式についてのつぶやきが見られるなど、現実世界の時間とリアルタイムに連動しているように作られているのは確かである。

 

この「つぶやき」では、各チームの、ラジオ番組以外での行動ややりとりを垣間見ることができる。

番組に対して反省をしていたり、他のメンバーとの連絡に使っていたり、リスナーへ呼びかけていたり、他のチームについて言及していたり、あるいは、チーム御在所であればカグラヤ怪奇探偵団としての活動報告であったり、と。

ラジオ番組の枠だけでは伝わり切らない、彼女たちの物語を断片的に補完していくものとなっている。

これって、トランスメディアストーリーテリング的なものを、うまく一つのアプリ上でエミュレートしている、とでもいえるのではないだろうかなーとちょっと思ったりしている。

実際にtwitterに各チームのアカウントを作ったりせずに、公式アプリ上でのみ展開させているところも、おそらくはポイントなのではないだろうか。

2018秋アニメ

ゾンビランドサガ

既に書いた



SSSS.GRIDMAN

上田麗奈宮本侑芽

そして、真礼のED曲~

エルドランシリーズで育っているので、ロボット描写のあちこちでグッとくる

 

上に「上田麗奈宮本侑芽~」とだけ書いたの、まあ単に、この2人が好きだからってだけの話なんだけど、もうちょっと言うと、この2人の声と演技が、リアル寄り(?)みたいな感じになっていたのが印象的だった。



サンファン

2期目はわりと笑える感じで作ってきた感じがする

石田彰キャラ、最初はめっちゃ石田~って感じがするのだが、中盤から「あれ、こんな石田見たことないかも~」ってなるw 碧ちゃんを困らせドン引きさせる石田w

あと、メガネと凜雪鴉もおもしれぇw

新キャラがわりと「お前そんな奴だったんかーい」となる展開だった2期かもしれない

かつえいらくは、むしろ、思いのほかいい子だったって方向だけど

あと、西川貴教はずっとそのままだったけど

りょうがは、とてもギミック溢れる感じでよかった

アクション的には、1期の見ごたえあったと思うのだけど、2期は、モブを操って集団戦闘みたいなシーンが多くて、そこが操演技術的にはもしかして見どころだったのかもしれないし、まあ実際、面白くはあった



やが君

おおっとここで終わりなのかあ、と感じてしまった

原作がまだ続いている作品は、時々こういうのがあるからな

高田~

 

 

BANANAFISH

原作未読でのアニメ視聴

全部のサブタイトルが、ヘミングウェイフィッツジェラルドサリンジャーか、から取られていた(7割方ヘミングウェイだったのでは)

バナナフィッシュという激ヤバドラッグについての陰謀を巡る話なのだけど、最終回まで見終わって、家族の物語なのかなーという感想。

ゴルツィネという奴が、ずっとアッシュの倒すべき敵・ラスボスとして位置しつづけるのだけど、最終回において、彼はアッシュではなく大佐にやられ、彼はアッシュの命を救って死んでいく。

ゴルツィネというのは、マフィアのドンであり、アッシュに目をかけ後継者にしようとし、アッシュを支配し傷つけてきた者でもある。

ゴルツィネは、アッシュの類まれなる美貌と才能に惚れ込み、彼を後継者としようとする一方で、彼を愛人としようともする。

マフィアというのは、血のつながりのないファミリーを形成するものだと考えれば、ゴルツィネはアッシュをファミリーとして位置づけようとした側面もあるわけだが、優秀な道具あるいは美しき愛人として扱い、支配しようともしてきた。

アッシュにとって、ゴルツィネは、倒すべき圧政者であっても、(慕うという意味でも追い越すという意味でも)父ではなかった。

ゴルツィネというのは、客観的に見ても超悪人だし、アッシュから見ても、あるいは他の登場人物から見ても超悪人であり、敵なのだけれども、単純に、主人公に対する敵対者・ラスボスというわけではなかった。

アッシュに魅了されてしまった人物としても描かれているし、父親として振る舞おうとしたところもあって、その複雑さみたいなものがあった。

さて、一方で、アッシュにとって家族とは、まずは、バナナフィッシュによって廃人となり、ついには殺されることになった実の兄のことである。

前半は、兄が何故廃人になってしまったのか、そして、兄の死後は、兄への敵討ちというのが、物語をドライブさせていく。

ただ、後半からは急速に、この実の兄の存在感というのは薄れていく。

アッシュが実際に「父」と呼んだのはマックスで、また「お兄ちゃん」と呼んだのは英二だ。

つまり、アッシュが、血と暴力の中にあるファミリーから、別のファミリーへと移行しようとする物語だったのだろう。

(実の兄を除けば、いずれも血のつながりのない、疑似的な家族である)

それはまた、アッシュ自身の二面性の現れでもある。

冷血で殺しをも厭わないアッシュと知性豊かで穏やかなアッシュ。

そういう風に見ると、ユエルンというのもまた、もう一つの家族を巡る物語を演じていた

中国系というのは、血のつながりを重視する世界なわけだが、彼は、有力な華僑の一族の末弟に位置しつつも、実の兄たちを憎み続け、その憎悪が彼の動機となっている。

そして、アッシュもまた自分と同じような存在であると考えていたのだが、アッシュが別のファミリーを見つけていくのを知り、それを許せないと感じてしまうのである。

この点からいくと、アッシュとユエルンとをつなぐのが、ブランカだったのだと思う。

ブランカは、アッシュにとって育ての父という感じだし、ブランカのアッシュとユエルンそれぞれに対する気のかけ方というのが、ブランカは彼らのことを息子のように感じているのかなと思わせなくもない。

 

ショータの死、衝撃的だった。

 

ジョジョ

次クールへ続く

 

あかねさす少女

まだ見終わっていない。あとで。

 

アイカツフレンズ

あいねが「みお」って呼ぶの、何故か未だにこっちが少し照れてしまう

ガルラジと日本酒

ガルラジのキャラクターの苗字は日本酒から取られているということを知ったので、とりあえずざっくりとググってみた

 

チーム岡崎

「二兎」愛知県岡崎市、丸石醸造の酒

http://nito.014.co.jp/
「萬歳」愛知県岡崎市、丸石醸造の酒

http://banzai.014.co.jp/
「桜泉」東京都練馬区大泉学園町商店会の酒

www.sanmata-saketen.com

 

(追記20190118)

 なんで、桜泉だけ東京の酒なんだ? と思ってたけど、そういうわけではないようです

(追記おわり)

 

チーム富士川

「年魚市」愛知県西尾市尊王蔵元の酒

商品一覧ページ 尊皇蔵元 山崎合資会社オフィシャルサイト 尊皇・尊王・幻々・奥・焚火など、愛知の清酒・日本酒・地酒・甘酒

「白糸」福岡県糸島市、白糸酒造の酒

www.shiraito.com


「金明」静岡県御殿場市、根上酒造店の酒

株式会社根上酒造店(データシート) - 静岡県酒造組合

 

チーム双葉

「玉笹」山梨県山梨市、養老酒造の酒

fruits.jp

 

チーム徳光

手取川」石川県白山市、吉田酒造店の酒

tedorigawa.com

 

チーム御在所

「神楽」三重県四日市市、神楽酒造の酒

kagura1858.com


「穂波」三重県四日市市、丸彦酒造の酒

www.mienokanbai.jp


「徳若」兵庫県西宮市、清酒徳若の酒

tokuwaka.storeinfo.jp

 

ガルラジの「ラジオ番組っぽさ」「生っぽさ」について

ガールズラジオデイズ(以下ガルラジ)というものを聞き始めたので、最初の感想をざっくりと記しておきたい。


ガルラジについて

キャラクターがラジオ番組をやるという企画である。

先行してアニメやゲームがあって、そのキャラクターがやっている(という体の)ラジオというのはままあるが、これはラジオ番組そのものが主体で、元々アニメ・ゲームなどがあるわけではない。

アニメやゲームによって物語を展開する、のではなく、ラジオ番組という形式をもって物語を展開する、というのが、おそらくこの企画の肝である。

単に、キャラクターのラジオ、というわけではない。ラジオ番組によって語られる物語。

 

ちょっと、というかかなり特殊な感じがするのは、高速道路会社であるNEXCO中日本が製作している、という点である。

全然知らなかったのだが、NEXCO中日本はこれまでもなんか色々とコンテンツを手がけているようで、ガルラジはそのラインナップに属するらしい。ここらへんはまだ全然調べていないのでよくわからない。

 

ガルラジは、5つのチームがラジオ番組を配信しているのだが、それぞれ5カ所のパーキングエリアをスタジオとしているという設定になっている。

すなわち、チーム富士川(静岡)、チーム岡崎(愛知)、チーム徳光(石川)、チーム双葉(山梨)、チーム御在所(三重)である。

10代~20代の少女たちがそれぞれパーソナリティとなっているのだが、彼女たちは、ガルラジというプロジェクトに応募してきた素人パーソナリティだ。

彼女たちが自分たちで制作したラジオ番組が放送・配信されると、人気投票などの方法によりポイントがつけられ、順位付けされる。

そして、一定ポイントに到達しなかったチームは解散という、サバイバル企画という特徴も持ち合わせているのである。

garuradi.jp



自分について

個人的には、野村麻衣子さんが出演しているという点で、「聞かないとなー」という義務感は持っていたのだが、「声優ラジオは好きだがオーディオドラマはちょっと苦手」と感じているので、「これ、楽しめるかなあ」というのが、聞き始める前の正直なところであった。

ただ、周囲が「ガルラジすごいぞ」「早く聞いた方がいい」とやけに言い始めたので、ようやく聞き始めたというところである。

最初は、「とりあえずなんでもいいから聞き始めよう」と聞き始めたので、実は結構、ながら視聴で、あまりちゃんと聞けていないところがあったりもする。

2019年1月13日現在、各チームの第2回放送までを聴き、小説とコミックスも読んだところである。

しかし、最新回は、チーム岡崎と富士川の第3回なので、まだ最新回までは追いついていない状況だったりする。

この記事、見ればわかるか、そこそこ長いわけで、「あ、こいつ、めっちゃハマってるんだなー」と思われることだろうが、自覚的には、実はまだ「ハマった」「刺さった」感触は持っていない。

それよりも「なんかすごいことをやっている感じはするのだが、説明しにくいすごさなので戸惑っている」という方が、自分の感覚に近い。

戸惑いながらも聞きながら、「早紀さま天才w」「やっぱ、えーでちゃんと野村さんええわー」「意外とチーム双葉好き」とか思うようになってきたところ。

 

 

「ラジオ番組っぽさ」という特徴 

さて、実際聞いてみての感想を一言でいうと、「かなりラジオ番組っぽさのあるオーディオドラマになっている」である。

このガルラジというコンテンツの、一聴したところで感じた「よさ」「すごさ」は、この「かなりラジオ番組っぽい」というところなのだが、それゆえに、これをどう説明すればいいのかということに頭を抱えてしまったし、そもそもこれどうやって作っているんだ、という謎も抱えてしまった。

 

非常にわかりやすいところからいうと、時折台本を「噛む」ところだろう。

普通のアニメやオーディオドラマであれば、NGテイクになるところを、あえてOKテイクにしているようである。

こうした時、キャストの素の反応と感じられるようなリアクションを聞くこともできる。

普通のラジオ番組は、生であれば、当然噛んでもカットすることはできないし、収録であっても、特に編集はせずにそのまま放送・配信していることはよくある。

その意味で、こうした「噛む」などのミスがそのまま配信されているというのは、ドラマではないラジオ番組っぽさを感じさせる特徴の一つだといえるだろう。

ただ、これは、ラジオ番組っぽいオーディオドラマであることを説明するのに、とてもわかりやすい事例ではあるのだが、「すごさ」の説明にはなっていないし、ガルラジの特徴の説明としても不適切である。

 

ガルラジは、ガルラジというフィクションの中に登場するキャラクターがやっている架空のラジオ番組、というコンテンツである。

で、当然ながら、このキャラクターを声優が演じている。

「噛む」というのは、声優側のミスである(おそらく)。上述した通り、そこで聞こえるリアクションも、声優側の反応のように聞こえる(ところがある)。

このように説明した場合、キャラクター=フィクション=ドラマに、声優=実在=ラジオ番組っぽさが混入している、というように捉えられてしまうだろう。


「ドラマにラジオ番組っぽさが時々混入してくる」というのは、ガルラジの特徴だと思うが、「フィクションに現実が時々混入してくる」というのは違う。


別の事例を挙げよう。

パーソナリティの一人が話している際に、別のパーソナリティが何気なく「はい」と相づちをうっているという箇所があったのだが、このときの相づちのタイミングや声の大きさなどが、非常に自然というか、本当に何気なく入れられたという感じでできていて、すごくラジオ番組っぽい、という感触があった。

そして、同時に思ったのは、この「はい」は、果たして声優に渡されている台本に書かれていた「はい」なのかどうか、という疑問だった。

先ほど、「噛む」事例の説明の際に、声優の素の反応が聞けると書いたが、実際のところ、ガルラジにおいて声優は、終始キャラクターを演じている状態を維持しているようにも思われる。

このあたり、あまりじっくり意識しながら聞いているわけではないのだが、今あげた「はい」といった相づちも、おそらくキャラクターとして相づちをうっているのであって、演技していない素の状態で思わず相づちをうってしまったわけではないのではないように思えた。

つまり、先ほどの「噛む」は、おそらくキャラクター自身が噛んだわけではなく(つまり、台本に「ここで噛む」といった指示があったわけではなく)、本当に声優自身のミスとして噛んでしまったのではないかと思われる事例なのに対して、そうではなく、キャラクターとして演じている状態を保ちつつ、しかし、ドラマ台本を読んでいるのとは違った、ラジオ番組っぽいリアクション等が随所に聞かれるのである。

正直、これめちゃくちゃ説明しにくいし、ガルラジを聞かずにこの文章を読んでいる人も、いまいちよくわからないと思う。

 

それから、この「ラジオ番組っぽさ」が、台本、演出、声優のアドリブのどのレベルで生成されているのかが全然わからない。

先ほどあげた相づちの「はい」のようなものだが、台本に書かれているとは思えないし、逆にもし書いてあったら、その脚本家のラジオ番組エミュレート能力の高さが怖ろしすぎる。

現実的には、声優側のアドリブによるものと考えられるのだが、しかし、普通に台本を渡して「あとはラジオ番組っぽくやってね」という指示だけでこれができるだろうか。というのも、普通のラジオ番組経験がまだあまりないであろう声優も出演しているのだが、そういう人でも同様の事例が聞かれるからだ。また、実際には声優のアドリブに頼っているところが大きいとしても、それをOKとする演出プランがディレクション側になければ、このような形で出てこないはずだし、声優側もやれないはずである。

 

つまり、ラジオ番組っぽさが、ラジオ番組としての枠組みだけでなく、話し方のディティールのレベルによっても再現されており、そのためにどんな研究をしてどのように実現しているのかが、結構想像の埒外にあるのだ。


他作品との比較

キャラクタを演じつつ、生っぽい・素っぽい声優のアドリブが入るコンテンツとして、たとえばてさぐれ!部活もの』などに代表されるダテコー作品をあげることができる。

が、ダテコー作品とはかなり手触りが違うものであることは指摘しておきたい。

ダテコー作品は、台本パートとアドリブパートがかなり明確に区別されており、「あ、ここから台本がなくなったな」というのが見ていてかなりはっきりとわかる。

ガルラジは、そのあたりがかなりシームレスである。というか、おそらくほとんど台本はあって、アドリブパートみたいなコーナーが用意されているわけではない。

ダテコー作品の面白さは、最初、声優たちはキャラクターを演じようとするのだが、台本のない大喜利を繰り返しさせられることによって、否応なく、演技しようがなくなり、本人の素が出てきてしまうところにある。また一方で、そうやって引きずり出された、演技ではない部分を、キャラクターへとフィードバックしていくというところも、ダテコー作品の特徴だろう。

一方で、ガルラジは、そもそも声優自身を引きずり出すということは意図されておらず、演技ではない部分をキャラクターにフィードバックするというようなこともおそらくしないであろう。

演技ではない部分が出ることによって「ラジオ番組っぽさ」を出しているわけではなく、むしろ、生っぽい・素っぽいキャラクターの演技をさせている、という感触がある。

 


キャラクターがやっているラジオという形式で、自分が一番最初に思い出したのは、TVアニメ『サクラクエスト』で行われてた「チュパカブRADIO」であった。

これは、『サクラクエスト』の番組webサイト上で配信されていたもので、ラジオ番組という形式であるが、本編の補完的な位置づけの内容であった。

この番組は、かなりオーディオドラマ寄りというか、少なくともガルラジにあるような素っぽさの演出はなされていなかったように思う。

しかし、聞いている当時、ちかぺこと安済知佳の演技がとても印象に残った点だけは記しておきたい。

彼女が演じている真希という登場人物がもしコミュニティFMで話すことになったらいかにもこういう話し方をしそうだな、と感じさせる話し方だったのだが、その特徴を一言でいうなら「半端な素人っぽさ」である。

喋りそのものは比較的流暢なのだが、マイクの前で喋ることには慣れていないという感じで、具体的にいうと、息や含み笑いなど、プロの収録であればおそらくノイズとみなされるであろう音が入ってくるのである。

他のキャストも、ある種、素人が喋っている風演技をやっているなあとは思ったのだが、声になっていない部分の音でそれをやっていたのは、ちかぺだけだった。

 

ところで、ガルラジに出てくるキャラクターも、みなラジオは初めてという設定だったはずだが、チュパカブRADIOにおけるちかぺのような演技は誰もやっていない。

ちかぺのアレは、なかなか誰もやらないと思う。


「キャラクター的な話し方」と「キャラクターっぽくない話し方」

ガルラジに話を戻そう

ガルラジによって聞くことができるのは、キャラクターによるキャラクターっぽくない話し方なのだ。

有り体に言えば、リアリティをどのように生じさせるのか、という問題であり、

2.5次元の「.5」の部分とは一体何か、という話である。

しかし、類似の企画と、ガルラジが異なるのは、現実の要素を混ぜることによって、それを達成しようとしているわけではない、ということだ。

徹頭徹尾、フィクションであることは維持しつつ、演技・演出のレベルによって「素っぽさ」=「キャラクターっぽくない話し方」をどうにかして導入しようとしているのではないか、と。

だから、ガルラジについては、声優本人の素が時々出てくるところが面白い、と単純に評すべきではないのではないか、と思っている。

(ダテコー作品は、声優本人がキャラクターっぽくない話し方をするパート(つまり声優本人の素)を混ぜ込むことで、リアリティも混ぜ込もうとしたと言えるし、おそらくこの手の企画は想像がしやすい。「チュパカブRADIO」のちかぺの演技は、ここでいう「キャラクターっぽくない話し方」に近いものなのだが、「キャラクターっぽい話し方」の中に、異質な演技パターンを入れ込んだものだとも考えられる気がする)

 

もっとも、全てのキャラクターについて、「キャラクターっぽくない話し方」ができているわけではない(し、それ自体は必ずしも問題でもない)。

チーム岡崎は、3人ともキャラクター的な話し方をしていると思う。

もっとわかりやすいところでいうと、チーム富士川の新田ひより演じる白糸結、チーム双葉の赤尾ひかる演じる玉笹花菜なんかも、終始キャラクター的な話し方をしている。

キャラクター的な話し方、というのは、キャラクターの演技をしている、というのを感じさせる話し方である。ある意味で、「わざとらしい」話し方である。念のため注意しておくと、ここで「わざとらしい」と称する話し方は、決して「下手な演技」という意味ではない。オーディオドラマやアニメであれば、むしろ求められる話し方である。しかし、実在の人間は、あまりああいう話し方はしない。そういう意味では「わざとらしい」。

これに対して、チーム富士川春野杏演じる年魚市すずや山北早紀演じる金明凪紗、チーム双葉の篠原侑演じる玉笹彩乃あたりは、「キャラクターっぽくない話し方」を結構している。

特に、春野杏なんかは、このクオリティがちょっととんでもなくて、驚く。

これ、キャラクターパートが終わって、最後に、声優本人として収録の感想を話すパートになると、春野杏本人の話し方とかなり近いが故なのだな、というのは分かるのだが、それにしたって、というところはある。

春野、山北はともに、キャラクターと自身が似ているということを話している。

ただ、キャラクターと自分自身が似ていることと、話し方や声の発し方も同様になるというのはまた別のことのはずである。

チーム御在所もまたなかなか面白いところがあって、佳村はるか演じる穂波明莉なんかは、白糸や花菜と同じで、非常にキャラクターっぽい、わざとらしい話し方をするキャラクターではある。ではあるのだが、時々、やはり「キャラクターっぽくない話し方」が垣間見える。そしてこれが、明莉なのか佳村はるか自身が漏れ出てしまったのかが、結構分かりにくい。

いや、ガルラジという企画の性質上、この二つは、原理的に分かりにくいのであって、佳村はるかだけが特に分かりにくい、というわけではないはずなのだが、しかしやはり、佳村はるか(ならびに小澤、松田)はこの点、なんか声優とキャラクターを行き来しているように感じられる。


(追記:2019/01/14)

岡崎と富士川の第3回を聞き終わった

チーム岡崎は、3人ともキャラクター的な話し方をしていると思う」と書いたが、岡崎も「キャラクターっぽくない話し方」がないわけではない

 で、これを確認したというか、台本に「噛む」ことが書いてある部分が、二兎春花の場合、結構あるというのがわかったのと、しかし、台本に書いてないっぽい「噛む」もあったかな、という感じ

逆に、春野杏が演じる年魚市すずも、キャラクター的な話し方をしているじゃないかと言えば、これも結構してる。

(追記終わり)

 

ここで何度も繰り返し出てくる「キャラクターっぽくない話し方」とは一体何なのか、というのは非常に説明しにくい概念なのだが

既に上述したような合いの手であったり、語尾の処理であったり、笑い声であったり、とっさのリアクションだったりする。

ところで、上では、「噛む」は声優本人のミスであり、演技ではない素の部分だ、と書いた。

しかし、ガルラジを聴いているうちに、「噛む」すら、台本に書かれているのではないか、と思ってしまうような瞬間に出くわすことがある。

考えてみれば、声優は演技で噛むこともできるわけだから、「噛む」は声優の素だ、などというのは思い込みに過ぎないのかもしれない。

こうした「キャラクターっぽくない話し方」が、しかし、あくまでも「キャラクターによって」話されているのだ、ということが維持されているのである。

いやしかし、そんな風にあらゆるディテールや空気感をコントロールできるものなのか、とそういう謎に出くわしてしまう。


ガルラジが描く物語

チーム徳光は、5チームの中、唯一パーソナリティが一人しかいないチームである。

このため、前述したような「ラジオ番組っぽさ」という部分は少ない。つまり、「噛む」こととそれに対するリアクションとか、相づちなどの空気感などはないのだが、それにも関わらず、何ともいえない生々しさをまとっている。

 

第1回を再生すると、突然「みるみるだよ~」という、いかにも萌えキャラみたいな声が聞こえてくる。

長縄まりが演じる手取川海瑠というキャラクターがパーソナリティなのだが、海瑠は、みるみる星のプリンセスみるみるというキャラ付けで番組を行っているのである。

しかし、聞いていると、海瑠がみるみるというキャラを無理してやっているというのが察せられ、聞いていて、なんともいえないおかしみと痛さを覚えるのである。

これはひとえに長縄の演技によるところだとは思うのだが、他のチームの「キャラクターっぽくない話し方」とはまた別の方向から、キャラクターに生々しさを与えるものとなっており、手取川海瑠の懊悩が伝わってくるものとなっている。

さて、第2回の展開などは、まさしくフィクションでありドラマである。普通のラジオ番組を聞いていても、なかなかこういうハプニングに出くわすことはないわけで、その意味で「お話だなあ」と感じるところである。

 

追記(2019/01/15)

チーム徳光をもう一度聞いていたのだけど、「キャラクターっぽくない話し方」はある。掛け合いこそないものの、やはり「噛む」とかはあるし(でも、たぶんこれは台本に書いていある「噛む」だと思う)。

第2回後半の、海瑠になってからの、ちょっと嬉しい感じで、でも急に緊張してきて、一つ一つ喋っていく感じところの、話し方に滲むリアリティはなかなかすごい。

1人ラジオっぽいし、素人っぽい

追記終わり

 

手取川海瑠という少女がどのように成長していくかというプロットが、おそらくすでに用意されているのだろう。

やはり、ガルラジは「ラジオ番組」なのではなく「オーディオドラマ」なのである。

「ラジオ番組」というのは、あくまでもパーソナリティのお喋りなどを楽しむものだ。

ガルラジも、形式上はラジオ番組であり、パーソナリティのお喋りを楽しむことができる。

しかし、チーム徳光の展開は、そのラジオ番組を通して、手取川海瑠についての物語を聞かされているのだと感じさせるものになっている。

(普通のラジオ番組は、その番組のパーソナリティについての物語を発信しているわけではない)

 

そしてこれ、チーム徳光に限らず、他のチームにもあるようなのだ。

ニコニコチャンネルで読むことのできる小説やコミック、あるいは、公式アプリで読むことのできる「つぶやき」からは、彼女たちの様々なドラマが断片的に伝わってくる。

これは、彼女たちが、どのようなラジオ番組を作っていくのかという物語なのだ。

ラジオ番組のリスナーならみな、ラジオ番組が生き物のように成長していくことを知っているはずだ。

そんな比喩表現を持ち出さずに言うなら、最初は、パーソナリティにもやらされている感があり、リスナーもまた当たり障りのないメールを送っていたコーナーが、次第次第に、どういうコーナーであるのかが、パーソナリティにもリスナーにも分かっていき、そのコーナーの意味が明らかになっていくという過程だ。例えば、その過程の中で、当初、作家が用意したであろう企画内容と、コーナーの内容が変質していく場合もある。しかし、そうやって、パーソナリティとリスナーが一番しっくりするところを探し当てて、盛り上がっていく、というのがラジオ番組の面白みであったりする。

ガルラジは、全6回を予定しているらしく、実際に、現実にいるリスナーとの相互作用でそのような探り合いをしていく時間はない。

この企画の仕掛けであるポイント制ランキングも含め、そもそも最初から台本が用意されているのではないだろうか、ということもなんとなく分かってきている*1

しかし、逆に言えば、どういうラジオ番組をパーソナリティたちが作っていくのか、という過程を、明確なドラマとして聞いていくことができる、ということでもある。

例えば、公式アプリから見られる「つぶやき」には、如実にそれが現れている。

ガルラジは、少女たちの成長物語というドラマを描くのだと思うが、また同時に、ラジオ番組についての物語を描こうともしているのではないだろうか。



ガルラジの魅力は「生っぽさ」だ、と言える。

しかし、そのように言うだけでは、ガルラジの特徴を捉えそこなう。

ガルラジを知らない人が、それだけを聞いたら、「なるほど、2.5次元的に声優のアドリブなんかを入れることで生っぽくしてるのね」とか「なるほど、視聴者参加型にしてリアルタイムな反応を組み入れて生っぽくしているのね」とか言って納得してしまうだろう。

確かにそういう要素はある。

しかし、ガルラジの「生っぽさ」は、構築された・演出された「生っぽさ」なのであって、実際の「生」を混ぜ込むことで見出される「生っぽさ」とは異なる。

そして、「生っぽさ」が目的なわけでもない。

この物語を語るために、この「生っぽさ」を用いているのである。

 

他の人が書いた記事

livedoor.hatenadiary.com

note.mu

nobu-v.hatenablog.com

note.mu

 

こんな感じで、次々とガルラジについて書かれた文章が現れてくるので、慌てて書きましたw

 

追記

 

 

 

*1:今後、現実のリスナーの動きと連動していくという側面もおそらく含まれてはいるが。

ゾンビランドサガ

視聴時に書いてた感想をG+からサルベージしとく

 

ゾンビランドサガ6話
いきなりシリアスにふってきて、やられた感があった
ずっとギャグやるだなんて誰も言ってないし、また、6話も(シリアス一辺倒ではなく)ギャグはあったわけだが。
1・2話がとち狂っていて、3・4話がコミカルな雰囲気のアイドルもので、5話でまたとち狂った方向にいって、6・7話でシリアスなアイドルものをやる構成、と振り返ってみれば、既定路線なのだが、何しろ5話がアレなので
っていうか、アイドルものがこれだけ無数に作られてきた後に、まだやられていないところがあったし、それがゾンビものだから可能になったところがある、というのがヤバイ
一口でアイドルといってもアイドル観は多様であり、それが衝突して困難に陥る、とこれくらい抽象化してしまうと、まあ既にどっかでやられてそうな話だし、ゾンサガ6話も話の構造だけ取り出せば、よくある話だし、7話ではまあ穏当なところに軟着陸するのではないかという気もする。
ただ、どういうアイドル観の衝突だったかというと、昭和アイドルと平成アイドルの対立だったというのが、なるほど、そこくるか、と。
いわゆる三次元のアイドルについて自分は全然詳しくないし、ものの本も全然よんでないのでなんだが、まあ確かに、昭和のアイドルと平成のアイドルって色々と違うよね、というのはなんとなくみんな知っているところではある。
ただ、二次元アイドルというのは、現実のアイドルのあり方や歴史を、そのまま模倣していたりはしないもので、この昭和アイドルと平成アイドルの違いみたいなものが出てきた例はほぼないと思う。
現実のアイドルのあり方をかなり参照しつつ、アイドル観の違いを描いたという点では、WUGは結構そういうとこあるが、あれも同時代の中での違いであって、異なる時代のアイドルは出てきていない。
異なる世代のアイドルを描くという作品自体はいくつか思い当たる。『アイカツ!』のマスカレード、『少年ハリウッド』の初代少年ハリウッド、『ナナシス』のセブンスシスターズあたり。しかし、これらは先輩-後輩関係にあることが重要であって、アイドル観の違いはあまりないし、ましてや昭和と平成の違いというものではない。
二次元アイドルの起源については色々あるだろうが、まあ現在の一大ジャンル化をもたらしたのがアイマスであることに異論の余地はないだろう。で、このアイマスは初代についていえば、昭和アイドル的なものをモデルとしていた、というのはある。
ただ、アイマスの場合、現実のアイドル史とはかけ離れた、アイマス世界のアイドルを作ったというところがあり、アイマスの中では、昭和的なものと平成的なものとがなんとなくシームレスにつながってしまっているところがある。
そもそも初代アイマスは、開発時期的に、平成アイドル的なものを参照する余地がなかったわけだが、ちょうど狭間に位置していたモー娘。への参照はあったりするし、シンデレラなんかはかなり平成的であるわけで、昭和と平成という歴史性みたいなものは捨象されてしまっている。
まあ、昭和のアイドルと平成のアイドル、普通に考えれば同時に存在させられないわけだし、2つの時代のアイドル観の違いを出すのはなかなか難しい。
アイマスでいうと、日高舞とか音無小鳥とかにそういう雰囲気がないわけじゃないけど、舞さんはボスキャラだし、小鳥さんのアイドル活動はあくまでスピンオフだし、内容的にも、現実のアイドル史の反映として見るのはなかなか難しい。
ゾンビだから、昭和のアイドルと平成のアイドルが、どちらも現役世代の年齢で同じユニットに入ることが可能なんだよなーっていう、すごいアクロバット
1から5話で、ゾンビだけどアイドルなんだということを徹底してやって、ゾンビの部分はギャグとして使って、特殊メイクすると普通にアイドルやれちゃうんですよ、ということを納得させた上で、6話で満を持して、ゾンビだからやっぱりもう既に死んでするんですけどね、っていう話を突きつけつつ、既に死んでいるのにアイドルをやるとはどういうことかという話もしてしまう、と。
アイドルとは何か、アイドルをやるとはどういうことかという自己言及は、アイドルもののお約束だし、さくらとかサキとかがアイドルやる理由みたいなのは、ゾンビとはいえ、まあ定番の範疇内に入るが、純子ちゃんと愛ちゃんみたいな形はねえ。
あと、昭和と平成っていうのが、過去と現在の対比なのではなく、過去と過去の対比でしかない、というのもすごくて。
愛ちゃんが2008年の子だというのが。
現代の価値観とほぼ同じではあるのだが、しかしそれでも10年のギャップがある。
2008年だと、視聴者の方もなんとなく「あああの頃か」みたいな感覚も持てるしな
誰かがツイートしてたけど、前田敦子と同じ歳らしいよ、愛ちゃん。
純子ちゃんの場合、時代が変わってしまったことについて戸惑いはありつつも、自分の時代が過去になってしまったこと自体は納得している節はある。もちろん、だからといって自分の中の価値観が変えられるかというのは別の話なわけだけど。
愛ちゃんの場合、自分の時代が過去になってしまったこと自体が、いまだ納得いっていないところに葛藤がある、というのが6話にして描かれる、と。
まあ、パッと見はそこまで10年前と変わってないだろうしなあ
(一番、生前と時代のギャップがあるゆうぎり姐さんは、納得を越えて、「考えるのをやめた」感がある)
この役を種田梨沙にやらせたのも、すごい配役で、私はまだ過去の人間にはなってないというような旨の台詞を種ちゃんに叫ばせているわけですよ
種ちゃんの場合、ブランクは1年ちょっとくらいなわけだけど、生き馬の目を抜く声優業界、ほんのわずかな間ではあるけれど、種ちゃんがいない間にどれだけの新人声優が出てきたことか、そしてまた、種ちゃんの占めていただろうポジションをどれだけ他の声優が埋めていったか。
キャスティングと脚本の関係がどんな感じだったのか窺う術はないけれど、偶然であったにせよ意図的であったにせよ、ある意味でキャストとリンクしているとは言えるわけで、こんなリンクありかよ、と。
メインキャストとしての復帰第一作ですよ、これ。

純子ちゃんの死因は飛行機事故。おそらくモチーフは御巣鷹山日航機墜落事故。作中では佐賀行きの便だし、純子ちゃんの没年は1983年、御巣鷹山は1985年なので、微妙に違うが、まあそうなんでしょう。坂本九が有名だけど、Wikipedia見てみたら、元宝塚女優の人も1人亡くなっているらしい。
落雷の方は落雷の方で、元ネタがあるというのをtwitterで知ったのだけど、EXILEの野外ライブでファンが亡くなった事故が2012年にあったらしい。野外ライブで落雷で死ぬってほんとにあるんだな……。
っていうか、あの絵単体だとわりとギャグっぽい絵なんだけど、全く笑えないものになっているというのがまたあれで
考えてみるとこの作品、開幕で主役が車にはねられて死ぬところから始まり、あれは結構リアルな描写だったのだけど、完全にギャグとして受容されていたわけで、その反転っぷりもすごい
ギャグ・コメディとシリアスドラマをどっちもやる作品というのは、それこそ「笑って泣ける」みたいなキャッチコピーが腐るほどあるくらい、あるわけなんだけど
それはそれとして、全く同じカットが、文脈の有無で、ギャグにもシリアスにも見えるってことを、こんなにはっきりと示してくるというのはすごい。
同じ作品の中でコメディとシリアルの両方をやるとしても、例えば、コメディパートとシリアスパートでは絵柄を分けるとか、そういう区別を立てたりする方が普通で、ゾンビランドサガもある程度そういうところはあるが、愛ちゃんの落雷シーンはそうじゃない。
全く同じカットが文脈次第でギャグにもシリアスにもなる、というと思い出すのはプリリズないしキンプリで、例えば、同じ映画見てるのに、プリリズを見ているか否かで、同じシーンを見ても笑う人と泣く人が出てきたアレ。
ただ、プリティーリズムシリーズの場合、演出があまりにも過剰なので、その過剰さに思わず笑ってしまうか、情報量過多すぎて何やってるのかが分からなくて笑ってしまうか、そういうところがあると思う。二次的に/結果的にギャグとなってしまっているところはあるが、作品の属するジャンルとしては、決してギャグ・コメディではない。

 

まだ山田たえがフリーハンドで残ってんだよなー
あの子の正体が分かる展開は普通に期待されるが、一方で、わからならいまま終わるのであればそれはそれで美味しい、というかなりずるい存在。
6話によって、各キャラの過去を「伝説のうんたらかんたら!」で終わらせずにちゃんと掘り下げるんだーと分かったので、他のキャラもある程度やるかなと思うんだけど、山田たえだけはよく分からなくて、どっちにでも使えるコマが残ってるってずるいなーっていう話

 

確かに、スター性を重視するか、親しみやすさを重視するのかという価値観の対立の話という意味では、黒井社長や美城常務との対立はそうですね
話の構図をある程度抽象化すれば、『ゾンビランドサガ』もそういう話なので、アイマスにも共通点は見いだせる
一方で、『ゾンビランドサガ』の6話見て「やられたな」って思ったのは、時代の流れみたいなものを組み込んでいるなと思った点です。
平成のアイドルである愛ちゃんから見れば、昭和のアイドルである純子ちゃんの考えは、単に自分と価値観が違うというだけでなく、そもそも時代遅れだということで、2人の考え方の違いは、2人が生きていた時代の違いなんだということが、視聴者にも登場人物にも了解されている。

何がよいアイドルであるか、という価値観には色々なものがある、というところは、ある程度いくつかの作品にも見られる特徴だと思うのですが、
その価値観は時代によって移り変わり、過去の価値観は時代遅れのものになってしまう、というところを描く作品は、なかなかなかったのではないか、と。
そして、その時代の流れ、時代遅れになってしまうこと、というテーマをアイドルものの中で描くにあたって、ゾンビという設定がちゃんと効いているのではないか、と。

アイマスは、特にシンデレラは、同時代の中で、色々な価値観があって、そうした価値観が互いに対立することもある、ということを描くにはよいと思うんですけど、時代による変遷みたいなものは描きにくい世界なんじゃないかなーと思います。

 

ゾンビランドサガ7話

6話を見たときの感想でこんなことを書いた

っていうか、あの絵単体だとわりとギャグっぽい絵なんだけど、全く笑えないものになっているというのがまたあれで
考えてみるとこの作品、開幕で主役が車にはねられて死ぬところから始まり、あれは結構リアルな描写だったのだけど、完全にギャグとして受容されていたわけで、その反転っぷりもすごい
ギャグ・コメディとシリアスドラマをどっちもやる作品というのは、それこそ「笑って泣ける」みたいなキャッチコピーが腐るほどあるくらい、あるわけなんだけど
それはそれとして、全く同じカットが、文脈の有無で、ギャグにもシリアスにも見えるってことを、こんなにはっきりと示してくるというのはすごい。

 
愛ちゃんの感電死のシーンから、さくらが車にはね飛ばされるシーンを連想したという感想だけど、7話で、純子ちゃんが車にはね飛ばされるシーンが出てきて、早速答え合わせをしてもらった感覚
いやほんと全く同じ当たり方、飛び方してる
車のへこみ方とか、人体の飛び方とか、まあ多少大げさなきらいもあるものの、わりとリアリスティックに描かれているわけだが
さくらのシーンは、どう考えても話の文脈的にはナンセンスギャグとして配置されている。また、「この作品はこういう奴です(全力でふざけてます)」っていうのを示してもいる(6・7話終わった今としては、それ自体ミスリーディングだったと言えるわけだが)
純子の場合、あのシーン自体は、巽の「あ、しまった」顔と純子の気の抜けた顔とあわせて、コメディ感出てはいるのだけど、しかし、さらに前後と合わせると一応、再び立ち上がる純子、の演出になってはいる
(「再び立ち上がる」を演出するのに車ではね飛ばすこと自体は、ギャグなんだけども)
同じカットだけど、文脈次第で意味が変わるぞっていうのを見せつけてくる
さくらの「デジャブ」っていうセリフは、完全に視聴者のセリフにもなっているわけだけど、さくらの場合は、デジャブによって元の自分に戻るきっかけになるかもってことだけど、視聴者の場合、デジャブによって作品の意味付けがどんどん変わっていくわけで、面白いよなー、と
で、この後のライブで、再び雷
6話終了後に、twitterで検索とかしてたら、純子が愛をフォローするんだろうなとか、雷がまた落ちてきて克服するんだろうなとか、そういう予想をしている人はいて、その意味では、話の展開自体に意外性はないんだけど、それにしたって、ゾンビだから雷に打たれても平気っていうのをあんなにあからさまにやってくるのが強すぎる
ステージは全部燃えて壊れてる、ボイスチェンジャー通した声になってる、身体がなんか光ってる、あまつさえ指先からビームが出る、どう考えても、絵だけ見たらただの無茶苦茶
でも、作中の観客たちが盛り上がったように、そしてトラウマ克服だとわかっている視聴者にとっても、最高にエモいライブシーンになっている
いやーすごいわー

 

ゾンビランドサガ8話~
一見するとギャグにしか見えない絵なんだけど、物語の流れの中で見るとシリアスというの再び
なんだけど、この作品はそれをただの繰り返しにはせず、ちゃんとバリエーション作っているというのが。
純、愛子に続いて死因が明かされたリリィだけれども、落雷、飛行機事故と打って変わって、死因そのものがギャグに近い。でもって、それを知ったサキがゲラゲラ笑い倒すので、ギャグだけどギャグじゃなかったけどやっぱりギャグなのか、みたいな状態になっている。
っていうか、サキは純の死因に対して「伝説やんか……」と呆然とし、リリィの死因に対して「伝説やなwww」と抱腹絶倒すると反応は正反対なんだけど、どちらにも「伝説」というワードを使っていて、「伝説」という語の使い倒し方もすごいなあと思う。
リリィ担当曲のジャンルがミュージカルなのが大正解正義すぎるー
でもって、リリィの話なんですけど
まあ、ゾンビものとアイドルものをあわせるっていうのは、企画としては確かに出てきそうな話であって、「その発想はなかった」レベルではないんだけれども、それはそれとしても、単に合わせるんじゃなくて、ゾンビでないと描けないアイドルものというところまで作り込んできたところが、やっぱりなかなかすごいなという話なわけですけど
ええと、一応もうtwitterなんかだと沢山書かれていて、かく言う自分もネタバレを見てしまった身だし、まあまあここらへんまできたらネタバレとか気にしなくてもいいかなと思うんですが、男の娘についても、ゾンビであることに意味がある男の娘ネタにしているのに至って「そこまでやるか」と。
8話に限っていうと、ゾンビランドサガ全体の中で見ると、まあ落ち着いた話だなとは思うものの、「ははあ、ゾンビを永遠の子どもとして捉えるのか」っていうあたりにはなかなか驚かされた。
ゆうぎり姐さんが「ゾンビってなんなんやろなあ(方言がわからん)」みたいなことを言ったところがちょっと気になっていて、その直後に、さくらが「リリイちゃんはリリイちゃんですよね」とポジティブに捉えてしまうのだが、あそこで、ゆうぎり姐さんは「育たないこと・大人にならないこと」について疑義を呈しているようなニュアンスだったなあと。
もしかしたら、ここ以外でも、ゆうぎり姐さんは他のメンバーと認識が違うところがあるのかもしれないと思ったけど、さすがに過去話数を洗い出すのは骨だ。

ところで、ゾンビランドサガって実はゾンビものなのではなく、吸血鬼ものなのでは。
ギャグものだとすればどんなふうに話を畳むのか、とかはそんなに重要ではないが、ストーリー重視であることが確実なので、やはり畳み方が気になってくるところ。
ゾンビものってあまり見ないのでゾンビものの典型的な結末って分からんけど、普通、ゾンビって倒される側だよなあ、と。しかし、この話でみんなまた死体に戻りましたなんてエンディングはなかろう、と。
で、不老不死の肉体を手に入れた容姿端麗の者たちの物語なのか、と捉え直すと、「あ、吸血鬼ものだ」と。
同じ見た目の奴が、別の時代で再び目撃されるっていうのも、ゾンビというよりは吸血鬼だし
で考えてみると、巽の格好ってかなり吸血鬼的だなあ、と。あれ、マントっぽいし。洋館だし。
1話か2話で「どうやってゾンビにしたのか」という質問に対して、巽は、ゾンビ映画にあるような奴だ、と誤魔化すような答えをしている。ゾンビを作る方法といえば、ヴードゥーの呪いか、そうでなければ近年であればウイルスか、というところだが、むろんそれだけでなく、ゾンビに噛まれるとゾンビになる、というものがある。で、吸血鬼に噛まれても吸血鬼になることを考えると、巽=ゾンビ=吸血鬼みたいなことは考えられそう。
もちろん、作品内で明示的に「実は吸血鬼でした」とは言わないだろうけど(実際、彼女たちは血を吸っていないし)、物語の作りとしては、吸血鬼モチーフの物語に近いものになりそう。

 

ゾンビランドサガ9話
今回もまた面白かった
今回、普通に面白かったので特段コメントなしだが
ヤンキーものなのに、一番最後のサキちゃんの歌いきった時の笑顔は、まごうことなきアイドルアニメなんだよなー
愛ちゃんやリリィでも、歌い終わった時の笑顔が印象的だったけど、この3人の中では一番よかったというか、サキちゃんがアイドルになった瞬間だったなあと。

視聴者的には、麗子さん、かつての友人がバイク事故で死んでるわけだし、そりゃ娘を危ない目にはあわせられないよなあという気持ちで見るけど、サキちゃんはどんな感じだったのかなーと思う。
「麗子の娘を死なすわけにはいかねー」とはもちろん思っているだろうけど、「真理亜は麗子のすごさがわかってねーな」とかも思ってるだろうし、自分の同級生が母親になっているという感覚がどれくらいあるのかよく分からなくて、案外、今の麗子より真理亜に共感してるくらいのところあるだろうなと。

真理亜は、古賀葵さん。めっちゃうまいなと思ったら、佐賀出身だったのか。この作品、ゲストは大体佐賀の声優使っているらしいんだけど、これまで特に確認してなかった。
(佐賀出身声優である吉田有里がわりと毎回モブにいるっぽいんだけど、全然どこにいるのか分からない。あの特徴的な声を隠しているのか)
古賀さん、自分の中では『なりあガールズ』→『アイカツスターズ』→『ゾンビランドサガ』なので、「あのなりあで無茶振りかまされてた子が~」という気持ちになるがw
古賀さんの真理亜はとてもよくて、今回は、真理亜回だったのでは、くらいある。

8話と9話、なんでCGじゃなくて手描きだったんだろうと思ったけど、衣装がこの回だけの奴だからか、ということに遅れて気付いた。*1
っていうか、MAPPA、今期は作画リソースの多くはおそらくバナナフィッシュに割いてて、ゾンサガはそこまで手厚いリソース配分されているわけじゃないと思うんだけど、その中で、すごくきっちり作られていてすごいな、と思う。
決して「ぬるぬる」動くわけではないのだが、よく動いていると感じさせるものになっている、気がする。作画・動画について詳しくないので、感覚的なことしか言えないが。
さすが『ユーリonICE』で毎話毎話、あんだけのフィギュアスケートシーンを作った会社だけある。

 

ゾンビランドサガ10話
ゆうぎり姐さん回かと思わせてゆうぎり姐さん回ではなかったわけですが、やはり気になるのはゆうぎり姐さんで
あの不条理ビンタは一体何なのか、と

ギャグ的描写が文脈次第でギャグではなくなるということを何度となく描き、また、車にはねられるシーンも、違う意味を持たせる形で繰り返している本作において、不条理ビンタが、ほぼ同じ使われたで2回繰り返されたのは何故なのか

1回目の不条理ビンタの相手はさくらで、2回目の不条理ビンタの相手は巽
2回目についていうと、巽がさくらのことをやけに気にかけているということを、ゆうぎりが指摘した直後であることもあり、巽とさくらの関係を何か示唆しているのかな、とか
(この2人が親子なのではないかという予想をしている人を見かけたことがある)

 

11話

ゾンビランドサガ、これどうせ2期あるんだろうなーとかちょっと思ってしまった

それはそれとして、11話は、「ふふ」って笑ってしまうシーンが多くて、それはそれでなかなか楽しかった

メンバーが1人1人さくらに何か言いに来る繰り返しシーンの、笑いとシリアスを交互に行き来させられる感じ
それにしても、ゆうぎり姐さん、オチがベタw
最後の巽がさくらに話してるシーン、さくらがいつ手すりから落ちるのかワクワク、じゃなかったハラハラしなかがら見てしまったw

 

ゾンビランドサガ最終回見た
ファンからの応援がさくらの記憶を呼び覚まし、そして圧巻のパフォーマンスへ、というベタベタな展開、だがそれがいい! という感じの最終回だった
雪の重みで会場の一部が崩壊し、ボロボロになったステージの中「ヨミガエ」るに至る流れ、落雷で壊れた中実施したステージの反復ではあるのだけど、緊張感がひしひしと伝わってくる作りになっていて、その後、愛を筆頭に各メンバーが立ち上がりアカペラで歌い、そしてさくらが「ヨミガエレ」と声を振り絞り、そしてサビで一気に解放されるカタルシスが非常に気持ちよかった。
CGモデルの表情付けがうまくてなー、というのもある。
たとえばラブライブ!であれば、CGと手描きを使い分けて、表情芝居は手描きでとかあったと思うのだけど、今ではCGだけでも全然いけるようになった部分があるなあと。

露骨な2期誘導をどう思うか、というのは確かにこの全12話を評価するにあたり、チェックポイントにはなると思う。
なんというか、2期の目途がある程度たったのでこうなったのではという疑いが拭えない感じがしてしまうのは、よくないっちゃよくない
(2期決定のアナウンスはまだなされていないわけで、あるとは限らないが。声優さんたちがやけに2期2期言って、暗に買え買え言ってるのは、なんとなく今ボーダーライン上にいるのかな~とかを想像させる。特に何の根拠もないが。/声優さんたちにとってこの作品が楽しい現場であったのだろうこと自体は否定しない。実際に楽しくて本心から2期をやりたくて「2期をやりたいんです」と発言するのと、売り上げ的に「もう少しで2期いけるかも」と示されたことを受けて「応援してください」と発言することは別に両立するので)

で、元々この作品の特性として、そもそも伏線を回収しなくてもそれはそれでアリかなと思わせるところがあったかなとは思っている。
中盤以降、シリアス側に少し振ったところがあるので、ゆうぎり姐さんの過去話もほしかったなあとかはあるものの、まあわかんなくても別にな、と。

twitterで某氏がちょっとふれてたけど、たえちゃんってのは確かにかなりセンシティブなキャラクターで
特にCGモデルのダンスシーンの時に顕著なんだけど、何らかの障害があるように見えるんだよな
当初は、ゾンビ化していて人間の意識が戻っていないからというエクスキューズがあったけど、最終回はもう完全にそういうの取っ払われていたし。
本編で触れる必要はないと思うので、公式においては無視しても構わないとは思うのだが、twitterで「山田たえ 障害」で検索してもヒット数少ないなあー。あ、「たえちゃん 障害」にすると結構ある。

*1:しかし、1回しか出てない衣装でCGになっているものもあるとさらに遅れて気付いた

ゲーム・オブ・スローンズ シーズン5

シーズン全体のタイトルは「竜との舞踏 A Dance with dragons」で、9話のタイトルは「竜の舞踏The Dance of Dragons」なんすね。まあそれはそれとして。

シーズン5は、顔のない神々、ハイスパロー、ハーピーの息子たちといったヤバげな連中が次々と登場

ハイスパローのじいさんは、紅の女と並ぶ、ヤバい宗教家枠。マージェリーを投獄した時は、このじいさんも結局は政治権力に阿る輩だったかと思ったら、続いてサーセイ投獄という激ヤバ案件へと踏み込んでくる。このじいさん、純粋なる宗教原理主義者だとは思うのだが、活動家としてどれくらいの力量があるのかはまだまだわからない(既にして存分に高いが)ところが恐ろしくもあるが、シーズン6以降でどのようにサーセイからの逆襲にあうのかというあたりもヒヤヒヤものである。サーセイを生きて返したのはこのじいさんの最大の失敗だと思うのだが。

サーセイの恥辱の道、Wikipediaによると、身体は別の女優で顔と合成していたらしい。ゲースロはたいてい、シーズンの終盤に、大戦闘シーンとか大虐殺シーンとか入れてくるけれど、シーズン5は恥辱の道がそれに相当する感じだった。精神的にきつい。まあ、その直後に、ジョン・スノウ暗殺が続くわけだが。

ハーピーの息子たちは、いまだ正体不明であるが、穢れなき軍団に対しても圧倒する戦闘力の高さがやばい。バリスタンが殺されたのも衝撃だが、闘技場でのわらわら出てくる感もやばかった。かなり無差別に客を襲撃しているようだったが。

そして、顔のない神々は、暗殺稼業をやっているっぽいが、行動原理というかいろいろとわけわからなくて怖い。「お前は誰だ」といって自分の名前などを捨てさせるのは、自己啓発や洗脳のプロセスっぽいわけだが、プラスして、超自然現象っぽいことも起きているので、黒と白の館とはいったい何なのか把握しにくいのが怖い。アリアが、まさかこんな道をたどることになるとは思わなかった。

アリア、ほんと今後いったいどうなってしまうのか。

 

壁については、やはりハードホームが今シーズンの中盤クライマックスだった。ホワイトウォーカー率いる軍団との、初めての本格的な一戦。そもそも圧倒的な物量で攻め込まれる絶望。さらに死んだ味方が敵の兵力になってしまう絶望。

そして、ジョン・スノウ暗殺という衝撃のラストシーン



デナーリスサイドでいうと、やはりティリオンとジョラーの珍道中が面白かったw 2度追放されながらもそれでもカリーシの元へと馳せ参じようとするジョラーのストーカー、じゃなかった忠臣っぷり

そして、シーズン6からティリオンがデナーリスのもとでどのようにその腕を奮うことになっていくのがとても楽しみ

ティリオンはなー、優れた上司のもとで優れた才能を発揮するタイプの人だと思う。自分でヴィジョンは作れないがヴィジョンを与えられればその実現に尽力できる感じ? ヴァリスがティリオンとデナーリスを組み合わせようとしたのはその点で慧眼。

あと、チーム・デナーリスの人たち、基本的にデナーリス個人に惚れ込んだ軍人タイプの人ばかりで、文官がいなかったのでその点でデナーリス側にも需要があるし。

 

シーズン5は、ドーンも出てきた。

こちらはジェイミーとブロンの珍道中w

ラニスター家子供世代は、ジョフリーだけどうしてああなったって感じで、トメンとミヤセラはほんといい子なんだよなー

そして、トメンもミヤセラも結婚相手を得ることで、母離れしていくことになるのだけど、サーセイは子離れできないという奴

まあ、トメンは完全に母離れしているわけじゃないけど。

ドーンのあの女(王弟の妻だっけか)と娘たち、やべーな。

 

そして、サンサとボルトン

サンサはだいぶ強くなったけど、それ以上にえぐいラムジーボルトン

だがしかし、シオンが最後にシオンとして復活してよかった……!

 

OP、ウィンターフェルがボルトン家の家紋になってんだよなあ

ボルトン家の家紋、ひどすぎない?w

 

紅の女、あれはねーよ

まあ、スタニスの娘を火あぶりにするところは、奴の行動原理的には筋が通っているから、1億歩譲っていいとして、その後、急に腑抜けになりやがって

っていうか、あの状況であの火あぶり見せられて、モチベーション保てる奴なんていねーよな

スタニス、作中、ウェスタロスで王を名乗った人たちの中では一番優秀な人だったと思うんだけど(あと、マンス・レイダーも優秀)、ウィンターフェル戦はもうどうしようもなかったな……

ラムジーに殺されるのだけはやめてくれよなって思っていたので、相手がブライエニだったのはよかったなとは思うけど。ここでリタイアかー