プリズムの煌めきの向こう側へ

アイマスとかアニメとか声優とかのことを書く、豚になってしまった人間の記録用紙

『劇場版仮面ライダーアマゾンズ THE MOVIE 最後ノ審判』

4DXで見てきた

 

大人向け仮面ライダーとして、容赦ないスプラッタとそれ以上に容赦ない過酷なストーリー展開で話題を呼んだ『仮面ライダーアマゾンズ』の劇場版

シーズン2以降の続編として作られている。

アマゾンも仁と悠を残すのみと思われていたが、再び新たなアマゾンが現れる。



4DX初体験だったので、まず4DXの感想から。

今更ながら、ようやく初めての4DXでした。

椅子の前から水が出るとかは聞いていたけど、客席の上の方に巨大なファンが取り付けられているとは知らなかった。あと、フラッシュ。

基本的には、遊園地にあるなんとかライド系だと思うけど、あれらよりグレードアップしている感じがある。まあ、ああいうのにも長いこと乗ってないので、あっちもグレードアップしてるかもしれないけど。

 

ドアを開けるとか些細な動作でも座面が振動したりして、PSのコントローラとかについてる振動パックみたいだな、と思ったりもした。ああいうのが、どれくらい臨場感に寄与するのかは疑問がある。

一方で、車の振動なんかは、かなり本当に車に乗っている感覚に似ていて、臨場感を覚えた。

背中を蹴ってくるような奴は、思った以上に勢いがあって、驚かされた。

アクションシーンにおいて、4DXは遺憾なく発揮されている感じがした。銃撃の振動があって、胴体部が攻撃されると、背中に衝撃がくる。座席自体の振動と、背中にぼこっとくる奴の2種類の動きがあるだけで、アクションの感覚が得られる(攻撃している感覚と攻撃を受けている感覚が別々にある)。

足下をなでるギミックもあって、あれ結構、お化け屋敷的にゾクッとする瞬間があったので、ホラー系の作品だと活用されていそうだな、と思った。

仮面ライダー的にいうと、変身シーンで風が吹いて、劇場全体にフラッシュが瞬く演出が大正解という感じだった。

変身する時に風が吹くっていうのを体感できるの、ほんとよい。

あと、アマゾンズ的にいうと、血しぶきにおける水

アマゾンズってかなりスプラッタ系のグロ描写が多いことも売りにしていた作品なのだけど、劇場版についてはどうも年齢指定はついていないらしく、確かにシリーズ作品の時とは異なり、その手の描写控えめであった。

(例えば、本作では、子ども達が殺されて食用の肉としてレストランに供されるというシーンがあるのだが、子どもを写したショットのあと、皿の上に置かれたステーキのショットをつなぐモンタージュで描かれている。でも、もしシリーズ作品でこれをやってたら、おなかかっさばかれて血がぴゅーって出てるところも映しただろうなあという気がする)

ただ、アクションシーンにおいては、やはり血しぶきが飛び散るのであり、そのたびに水しぶきも飛ぶ。

視覚的には、シリーズ時ほどのグロさはないのだけど、それを補うような役割をしてくれている。

血飛沫を浴びた経験はないけど、血飛沫浴びちゃったな、今ってすごく思う

ここまで挙げてきたのは、物語世界内での動作や出来事につけられた4DX的効果だけれども、それ以外にもカメラの動きにあわせた効果があったのに驚いた。

空撮などのシーンでカメラが傾くのとあわせて、椅子も同じように傾く、というような演出が度々なされていた。

また、左右の傾きだけではなく、前後の傾きもあった。

これによって、浮遊感のようなものが得られる効果があったかなあと思う。

ところで、最近、某遊園地に行ってVRフリーフォールやVRメリーゴーラウンドを体験したのだが、VRグラスに若干の平衡感覚への働きかけを加えると、落ちてる感や空を飛んでいる感が、結構手に入るものだなあ、と

VRメリーゴーラウンドは結構感激で、普通のメリーゴーラウンドに乗りながらVRグラスをかけるというもので、メリーゴーラウンドって、単にぐるぐる回りながら若干の幅で上下動を繰り返すだけの代物だけど、VRグラスをつけると、スリル満点の乗り物に変わった。



閑話休題

あらすじ

4Cに追われる悠と負傷した美月は、とある養護施設の子どもたちに保護される。

不可解なところや閉鎖的なところはあるものの平和なコミュニティを形成しているようであったが、そこにアマゾンの襲撃がある。そして、園長もまた仮面ライダーであることが明らかになる。

アマゾンは仁と悠だけになったはずではなかったのか、園長は何者なのかなどの謎は膨らむが、4Cの来襲と、水沢本部長の命を受け再招集された駆除班の登場により、悠と美月は一旦は施設を後にする。

しかし、この施設はただの養護施設ではなかった。

アマゾン細胞の利用を諦めていない橘局長によって画策された、アマゾン牧場だったのだ。

草食のアマゾンを作り上げ、成長したところで食肉にする、という計画。

そして、施設の子ども達は自分たちがどういう存在で、どうなる運命であるかも知っており、自分の命が他の人の命になることが己にとっての幸福であると信じている。

一方で、殺されるのを恐れ、施設を脱走した者達もいる。彼らは「肉食」へと変わり、怪人化しているわけだが、養護施設の子どもたちは、それを醜い生への執着だと見なしている。

その後、そう信じてきたけどやっぱり死ぬのは怖いんだーってなって怪人化してしまった子を悠が助け出し、また一方で、アマゾン細胞供給装置として施設にとらわれていた仁さんが解放され、再度の、そして最後の、アマゾン絶対殺すマン仁さんvs害をなさないアマゾンは守る悠との戦いが始まる。



養護施設の子どもたちが里親の迎えが来て向かった先で殺されて食べられてしまうというのは、都市伝説ホラー的であり、かつカニバリズム的な要素があって、アマゾンズ的であると思う

ただ、アマゾンズって、人間とそっくりだけれど、人間を食うという一点において相容れない存在と、果たして共存することはできるのか、という問題をたてて、それに対しての倫理的葛藤を強いるお話だったと考えるなら、そういう点はスポイルされてしまった感じがある。

三崎くんが「食べてもいいよ」っていうシーンはめちゃ泣けるけどさー

アマゾンが人間を食うのが悪いというなら、人間だってアマゾンを食う状況を描いたら、相対化できんじゃないのか、みたいな考えもあったのかもしれないけど

物語世界内での話になるけど、そもそもアマゾン牧場の客って一体何者? アマゾンの肉を食肉に加工するってだけなら100万歩譲ってありだとして、これから食べることになる子を、里親のふりして迎えに行って、ご丁寧に厨房まで連れて行ったあとで、食べれるって、なかなか倒錯した欲望持ってる御仁じゃないと無理じゃん

 

まあ、アマゾンと人間の食う食われる関係が逆転した結果、仁は人間を殺してしまい、悠は守るべきアマゾンを食べることになってしまった、という図式になっていて、この構図自体はんんか意味ありげなんだけど、あまり掘り下げられなかったなあ、とも。

 

そして、やっぱりあんまり救いはなく、「また、続編作ろうと思えば作れるように終わらせやがって」っていうw

っていうか、美月とか何故あんな人生を背負う羽目になってしまったのか。本人の主観的にはそこまで悪い状態ではないかもしれないが。

 

野座間の会長と水澤本部長をどうにかしろ!!