プリズムの煌めきの向こう側へ

二次元アイドル・アニメ・声優あたりの話題中心で、主に備忘用のメモ

ハニプラの勝ち筋が見えたか?

エビストでは、どうもアンドロイドが持つ「感情」と「心」を区別しているらしい
もちろん、感情と心は同義語ではないので概念として区別されるのは分かるが、ここで言われているのは「アンドロイドに感情を持たせるのは想定内だが、心を持つのは想定外」ということで、感情を持つことは心を持つことにとって十分ではない、という話だ
では、(感情ではなく)何を持つことができたなら、心を持ったということになるのか。


もちろん、まだ明かされていないことなので、これの答えはまだ分からない。
が、少し考えてみる。
Motherにとって想定外だったことは何か、と言えば、おそらくかなでや2_wEi の反抗だろう。
(意図的に反抗させているのかなとも思っていたのだが、どうもその線はなさそう)
それで思いついたのは、彼女たちに芽生えたのは、自己決定や自律の精神なのではないかと。
自分が一体どういう存在であるか、ありたいかを自ら定め、そうなるように行動する。そのためであれば、その身が滅びようとも構わない。
つまり、自由であるということだ。


さて、ひなたは、単に歌が好きという気持ち(感情)を持っているから強い、というキャラクターではない。
つまり、エビストは、感情のないアンドロイドに対して、感情のある人間として戦う、という話ではなくなっている。
むしろ、ひなたは、ライブバトルに対してある種のルールブレイカーになることが期待されている。
これもまた1つの自律の姿ではないかと。
つまり、自由であるとは、自分で作ったルールに自分で従うことだからだ。
そして、ひなたやハニプラがライブバトルに代わる新しいルールを自分たちで作ることこそが、Motherに対する勝利ということになるのでは?


さて、B.A.C.というのはある意味で、人々を他律的な存在に甘んじさせるための存在と言える
圧倒的なカリスマは、アモルたちに従えば幸福になれるのだと観客に思わせる。
彼女たちはある意味で、よき全体主義を担っている
よき全体主義に対して、自由や自律の精神によって抗えるのかといえば、それはそれで難しい話ではないかとも思うのだが(稲葉振一郎とか参照)
まあ、テーマ的には、ナウシカとかとも繋がりそうなSFテーマだなーと。


ところで、完全に飛躍した発想で、ただ連想したに過ぎない話なのだが、
音のない世界の発想源ってもしかして『ハーモニー』の意識のない世界だったりしないかなーとか
意識と自由はまたちょっと違う概念ではあるのだが、それをちょっと短絡させて。
自律という心はないが、感情はetmlで記述されている世界
完全な調和と幸福がもたらされているが、音はない世界……


話は変わるが
行動←意思決定←感情というのは、ある種の哲学のトレンドを抑えた考え方でもある。
どうして感情が意思決定のために必要になるかというと、感情というのはある種の判断なのだという考えが背景にある。
恐怖という感情は「敵が近くにいるぞ」という判断なのであり、だからこそその判断から「逃げる」という意思決定がなされる、と。
そういう意味での感情なら、もしかしたら、実装可能なものとして作れるのかもしれない。
しかし、優衣が作ろうとしていた感情って果たしてそういうものなんだろうか。
感情が味覚に現れるとか面白い設定で、その面白さは主にSF的な部分というよりは、話の演出的な部分にあるのだが(エビストは食事シーンが多いなと思う)、あえて連想を広げ、感情と知覚の関係や、ひいては自己感覚を持つこと、そしてそれが自己決定の能力を持つことにつながるのか、と考えてみるのも楽しい


追記
ツイッターに書くには長過ぎかと思ってブログにしたが、一つの文書にすると支離滅裂だな……
書き忘れ
音楽には、多分にB.A.C.的なものと相性のよいところがありまよすよね、というのは一応書いておこうかと。