現在、ナナシスのゲーム本編では、EPISODE4.0 AXiSが絶賛進行中
TLでは支配人たちが様々な感想を交わしています
これまでも何となくわかっていたことですが、第8話で、AXiSメンバーのうち、4名がその内面を告白するようなシーンがあったことで、AXiSとセブンスシスターズとの対比みたいなものが見えてきました。
この、等々さんのツイートがまさにそれを言い表しています
ありのままで生きられなかったオト
— 等々 (@kakure_i) May 30, 2019
ありのまま自由の野生児クルト
大富豪のマナ
極貧を味わったサビナ
輝きと居場所を求めるタキ
キラキラキングダムを築いたルイ
〝善人〟のセネカ
〝悪人〟のメモル
ネロはともかくとして、さてアグリは?
で、このツイートを見まして、自分としては
AXiSメンバー、大体セブンスメンバーのネガとして造形されているっぽいので、(ネロ)アグは、(ニコ)ミトのネガになってんだろうが、自分があまりセブンスのオタクじゃないんで、そもそもミトも謎が多くてよく分からん
— シノハラユウキ (@sakstyle) May 31, 2019
ミトとアグリの比較をするためにはやっぱり「COCYTUS」と「FALLING DOWN」の比較からはじめんとねー
— シノハラユウキ (@sakstyle) May 31, 2019
この2曲が似てるなんて散々言われているだろうし、きっともう考察班が比較作業を始めてるはずと思ったんだけど、TL検索しても意外とヒット数が少ない……俺の検索が下手?
というわけで、この2曲を比較してみるか、と
セブンス、AXiSどちらもアッパーな曲を得意とする中、どちらも静かめの曲として特徴的。とはいえ、どちらもしっかりとした四つ打ちEDMでもあります。
今回は、曲ではなく歌詞について比較していきます。
ただ、あまり明確な結論はないです。
タイトル
FALLING DOWN | COCYTUS |
落下していく | 冥府に流れる川 |
歌詞を見ていっても分かるのだが、前者が「落ちていく」のに対して、後者は「冥府」つまり既に落ちてしまったところ、なのである
似ている言葉探し
とりあえず、この2曲の歌詞カードを並べて、この言葉似てるなーと思ったものを列挙してみる
FALLING DOWN | COCYTUS | |
(1) | 「届かない都市(まち)」 | 「届かない空」 |
(2) | 「やがて翼折れ/僕は堕ちてゆく」 | 「壊れるほど欲しいものは/壊れない糸でできた羽」 |
(3) | 「やがて命尽き/星になれるだろう」 | 「灰になってもかまわないの/燃やしきって/この身が残らないほど」 |
(4) | 「止まらない この時代(...)今日も歌うよ」「輝く偽の楽園」「終わらない この時代/愛おしい(...)だから歌うよ」 | 「汚して汚して/美しいこの世界」「かりそめの世界/あなたがいたなら/何もいらないのに」 |
- (1)
これは見たまま
「FALLING DOWN」では何度も出てくるが、「COCYTUS」では1Aメロに出てくるのみ
- (2)
これは「翼」と「羽」が似た意味の言葉かなと思って拾った
加えて、「FALLING DOWN」では、翼はやがて折れるもの(そして僕が堕ちてゆく)として描かれているのに対して、「COCYTUS」では、壊れない羽が欲しいと歌われている
つまり、前者では、今は翼を持っているがそれがやがて失われるのに対して、後者では、今は持っていないということになる。
折れる翼と壊れない羽、というのも対比的
- (3)
「やがて命尽き」ると「この身が残らないほど燃やしき」るというのが、まあ似ているといえば似ているだろう
ただ、非常に異なる点は、前者が「星に」なるだろうと言っているのに対して、後者は「灰に」なっても構わないと言っている点である。
「FALLING DOWN」は、都市には届かなくて、翼が折れて落下していってしまう、という意味で、状況としてはネガティブなところを描いているのだが、その先にはきっと星になれる未来が待っているだろうとか、あるいは「約束の場所へ」向かおうとする志向性は感じられる。
一方、「COCYTUS」は既に冥府に落ちており、当然空には届かず、羽を欲しているが、灰になってしまってもよい、というある種の諦観めいた思いがある
- (4)
ここでは「時代」と「世界」を、似たような言葉として拾っている
この歌の中には自分と相手(「君」「あなた」)がいて、そしてそれを取り巻く状況がある、と考えると、その状況が「止まらない この時代」や「美しいこの世界」と名指されていると考えられるだろう。
「輝く偽の楽園」もその点では近くて、「美しい」「かりそめの世界」と対応すると言えるだろう。
しかし、それへの対峙の仕方は違う。
「FALLING DOWN」では、止まらない時代の中で1人朽ちてしまうとしても「今日も歌うよ」と述べているし、2番では「終わらないこの時代」が「愛おしい」とすら述べている。
一方、「COCYTUS」の方は、「美しいこの世界」を「汚して」しまいたいのであるし、「かりそめの世界」など本当は「いらない」のである。
雨と炎
「FALLING DOWN」は、雨の夜という情景描写がある(「雨に濡れたbeat it」「夜は二人隠す」「夜が明けたら」)
対して「COCYTUS」には、そのような明確なシーンの設定はないが、「燃やして」「焼けて焦げた」「美しく燃え上がるの」などなど、とにかく燃える描写が多い
(「COCYTUS」は、「もう見えないように」しているのであり「目を開け」ていないので、情景描写がないのは当然かもしれない)
この二つの曲はそれぞれ、雨にけぶる夜の街と燃え盛る炎が、視覚的に思い浮かぶようになっていて、やはりうまく対比されていると思う。
ところで、「COCYTUS」では「溢れかけた涙ごと」「こぼれ落ちた涙ほど」と、涙が二か所で出てくる。
「FALLING DOWN」では、涙への直接的な言及はないが、雨を涙とみなすのはありふれたメタファーであろう。
ただ、「FALLING DOWN」が雨降る描写を通して登場人物の涙を描こうとしている、というよりはむしろ逆で、「COCYTUS」が涙=雨すらも燃やしてしまう炎を描いている、と捉えてもよいのかもしれない。
雨の中落下していくのが「FALLING DOWN」だとして、落下してしまった先の冥府ではその雨ごと焼き尽くすほどの炎が待ち構えているのだと「COCYTUS」が応答しているかのように。
君とあなた
「FALLING DOWN」には「君」、「COCYTUS」には「あなた」が登場する。
FALLING DOWN | COCYTUS | |
(1) | 「君を知って 焦がされた心で」「時を止めて 君だけが救い」「夜は二人隠す」「夜が明けたら二人きっと」 | 「薄紅色に会うと笑った/あなたといる夢を見ていただけ」「あなたがいたなら/何もいらないのに」「あなたに会いたい/叶わぬ夢なら |
(2) | 「君とならどんな罪も罰さえも/抱きしめて離さないよ」 | 「胸に刺した一枚の羽はあなたに残すの(...)雪のような灰の世界で」「最後に残った羽で/憎しみとさよならしよう/舞い上がった羽が/あなたに届くといいと」 |
- (1)
「FALLING DOWN」では、おそらくはまだ「君」を知って間もない頃であり、夜が明けたら離れ離れになるとはいえ、この歌が歌われている夜の間はまだ二人は一緒にいるだろうことが分かる。
「COCYTUS」は、今は「あなた」とは一緒にいないのだろうし、おそらくは、過去において「あなた」と離れ離れになってもう会えない状態になっているのだろうということがうかがえる
- (2)
この2曲が持っている暗い雰囲気は、「FALLING DOWN」では「罪」と「罰」、「COCYTUS」では「憎しみ」という言葉が出てくるところにも由来するだろう。
さて、「FALLING DOWN」におけるこの印象的なフレーズからうかがえるのは、「君」とは犯した罪も受ける罰も一緒にして離さないと、2人は運命共同体であることだろう。あるいは、この先、離れ離れになるとしても、今は離れたくないという気持ちとも捉えられるし、物理的に離れるとしても心理的には決して離れないという決意ともとれる。
これに対して、「COCYTUS」はどうか。上に引用しなかったが、歌の順番としてはまず「焼けて焦げたこの羽で/憎しみの蝶になる」とあり、「憎しみ」という単語はここに出てくる。世界を燃やすだけでなく、自分自身さえも燃え尽きてしまってよいと歌い、羽だけを「あなた」に残そうとしている。自分自身も燃え尽きてしまったとき、「憎しみとさよなら」することができて、残った羽が「あなたに届くといい」と
自分と「あなた」は、おそらく今ここでは一緒にいないし、今後も一緒になることはないと考えている。「あなた」との関係において、自分は消えても、一片の羽が届きさえすればいいと思っているようだ。
暫定まとめ
「FALLING DOWN」は、雨降る夜の中、翼が折れて落ちていってしまう2人を描いた歌だろう。過ちや罪を犯してしまったのかもしれない。止まらない時代と自分がずれていってしまったのかもしれない。それについては、甘んじて落ちていくことを受け入れている。しかし、離れ離れになったとしても、「君」と運命共同体であることは変わらない。そして、落ちていく、朽ちていく、最後の時が近づいているとしても歌い続け、やがて星になる、約束の場所へ迎えることを決して諦めていない、そういう力強さを秘めた歌でもあるのではないだろうか。
一方の「COCYTUS」は、すでに「冥府」へと落ちてしまったあとの話であり、憎しみによりもう周りを見てはいない、周りの世界を全て燃やし尽くそうとしている。かつて「あなた」といたことを思い出し、「あなた」に再び会えることを望んでいるけれど、それはもはや叶わぬ夢だということも分かっており、自分を燃やし尽くしてでも世界を灰に変え、何もかもなくなり、この憎しみがなくなったあとに残る羽だけが、あなたに残ってほしいという、かなり絶望的な諦観を歌った歌である。目を閉じてしまっているために何も見えていないのだが、一方で、涙すら燃やし尽くす炎と、雪のように降り注ぐ灰が、否応なしに美しさを感じさせる歌にもなっている。
主人公は一体誰なのか
これらの歌の主人公は誰なのか、つまり、これらの歌は一体誰の心情を歌ったものなのだろうか。
これらの歌はどちらも、SATSUKI-UPDATEが作詞を担当している。しかし、広い意味でのポップス、特に作詞家と歌手が分かれているような歌において、その歌で歌われている心情を作詞家本人の心情とみなすことは一般的ではなく、SATSUKI-UPDATEの心情を歌っているとは考えにくいだろう。
では、歌手の心情を歌っているのだろうか。いわゆるポップスにおいて、シンガーソングライターなど、歌手と作詞家が一致している場合、そのようにみなされることもある(まれに、一致していない場合でもそのようなケースが生じることもあるだろう)。ただ、多くの場合、歌手の心情ともみなさていないだろう。
どちらかといえば、歌に歌われている出来事は、フィクションであり、その心情は架空の登場人物に帰属させられていることが多いはずだ。それは、小説やマンガの主人公のように、はっきりと名前や見た目などが分かるようなキャラクターであることは少なく、作詞家でも歌手でもなく、漠然とした誰かのことであることが多い。そして、漠然とした誰か、であるがゆえに、リスナーが自分自身のことを重ね合わせることもできる。
しかし、これ以外にも、ある特殊なケースもある。それが、キャラクターソングである。キャラクターソングは、既にある特定の物語の特定のキャラクターの心情や性格を歌った歌である。歌の内容がフィクションであり、架空の人物の心情を歌っているという点では、上に述べたケースと同じだが、漠然とした誰かのことでは決してなく、はっきりと特定のキャラクターを指定できる点が異なる。
「FALLING DOWN」と「COCYTUS」は、一体どうなのだろうか。
この2曲はともに『Tokyo 7thシスターズ』という作品をもとにリリースされているもので、我々の世界の中のジャンル的な位置づけとしては、(いわゆるJ-POPよりは)キャラクターソングと近い位置を占める。
一方で、これらの曲は、キャラクターソングとして発表されているわけではない。それぞれセブンスシスターズ、AXiSという、作品世界内で活動しているアイドルユニットの楽曲というていで発表されているものである。その在り方に従うならば、キャラクターソングよりは、いわゆるJ-POPなどと近い位置にあるといえる。
となると、結局、一体誰の心情を歌った歌なのかという点で、あまり明確な答えが出ないことになってしまうのだが、キャラクターソング寄りの位置づけで捉えることとしよう。
「FALLING DOWN」は、おそらくニコとミトの関係を歌ったものなのだろう、ということにしておく。
問題は、「COCYTUS」の方である。
ジャケットのイラストから考えるに、ネロを主人公とした歌なのではないか、というのは普通に考えられるところである。
実際、燃やし尽くすとか灰にするといった歌詞の内容からも、これがネロについての歌だという考えを補強する。
そして、EPISODE4.0の第7話において、彼女の姉についての過去が明かされることで、この歌詞の「あなた」が姉を指すのではないかという解釈が成り立ってくる
ところで、そもそもこの記事の目的は一体何だったのか。
本編で一向に内心が明かされない、というか喋りすらしないアグリのキャラクターを探ることだったのではなかったか。
「FALLING DOWN」がニコとミトについての歌であるならば、それと対をなすかのような趣きの「COCYTUS」は、ネロとアグリについての歌なのではないか、という憶測のもと、アグリについて考えるならば、この2曲を比較することで何か見えてくるのではないか、というのが出発点であった。
ただ、ネロの歌だと考えると、「あなた」が指しているのは、今のところアグリよりは、ネロの姉であると考える方が妥当であり、この線からアグリについては見えてこない。
では、半ば強引に、アグリを主人公とした歌であるとみなして考えてみるとどうなるのだろうか。
すると「あなた」はネロのことを指す、ととりあえず想定するしかないだろう(他の候補を考えるほどのヒントが全くない)
しかし、少なくとも第8話現在まで、ネロとアグリは同じユニットに所属しており、会えないような状態にあるわけではなく、この歌をアグリの歌として整合的に解釈するのはかなり難しいと言わざるをえない。
となると、この線から、アグリについて考えるのは失敗だった、ということになりそうだ。
ただまあ、セブンスとAXiSというユニットレベルで考えると、この2曲を比較することによって、何らかの対比は見えてきそうではある。
第8話感想
8話見た!
— シノハラユウキ (@sakstyle) May 30, 2019
Tokyo 7thシスターズ Dear My Futureじゃん
いやでもほんと、ネロの話聞きながら頭の中に思い浮かんだのは、DMF 50話のイメージだったんで、「プリティーリズム見てください」
— シノハラユウキ (@sakstyle) May 30, 2019
プリリズDMFって、自分も見たのがもう結構前で、内容をちゃんと覚えているとは言いがたいのだが、物語の最終盤で、主人公が敵役から「おまえが一番になるには一番になれなかった他の子たちが負けなきゃいけないんだよ」みたいなシーンがあって、ナナシス4.0の8話は、それを思い出してしまう
— シノハラユウキ (@sakstyle) May 31, 2019
セネカの闇は深い
— シノハラユウキ (@sakstyle) May 30, 2019
あいつだけ、なんであーなったのかよくわからないぞ
777パートが毎度よくて、今回、スースと、ウスタ、カジカ、ムスビというのがよい
— シノハラユウキ (@sakstyle) May 30, 2019
スースはバレエもやってたし、性格的にも勝負厭わない感じだし、アイドルやるってのにも自覚的だけど、後者3人はそのあたりが正反対だから。なんとなくアイドル始めた組というか
カジカはずっと前みたく活動してたいっていうけど、AXiSがいようがいまいが、アイドルとしての時間はいずれ終わるんだよなということも思ってしまった
— シノハラユウキ (@sakstyle) May 30, 2019
サビナがこの世に幸福がたくさんあるのに私にはなかった、とか言っていたとき、スタグリの歌詞がよぎってた。輝く星を夜空を掬って届けてもらえなかったんだな、と
— シノハラユウキ (@sakstyle) May 31, 2019
っていうか、ムービーで雨降ってる街並みを映してくシーン入れる演出よかったなー
— シノハラユウキ (@sakstyle) May 30, 2019
スマホゲーって、ナナシスとエビストしかやってないようなもんだから、他のスマホゲー(特にシナリオ重視系?)がどれくらいああいう映像的な演出やってるのか知らんけど。なかなかなさそうだなと思った
映像作品としてはありがちな演出だけど、そもそも茂木、学生の頃は映像やってた人でしょ、確か
— シノハラユウキ (@sakstyle) May 30, 2019
雨はアニメーションになっていて、セリフなどはなくBGMが流れるだけのムービーシーンがしばらく続くの、なかなかリッチな演出だなあと思った
その他
ナナシス曲の歌詞については、過去にこんな記事を書きました
sakstyle.hatenablog.com