プリズムの煌めきの向こう側へ

二次元アイドル・アニメ・声優あたりの話題中心で、主に備忘用のメモ

ゲースロ最終回

最終章最終回まで見終わったので、最終回の感想を書く

最終章全6話で、1~5話も色々(ウィンターフェルの戦い前夜めっちゃよかったよねーとか、ハウンドのラストバトルめっちゃかっこいいとか)あったけど、とりあえず最終回について

 

実は、最終回は、RTキャンペーンで当選して、六本木のTOHOシネマズで行われた上映会で見ることができた。

大画面と大音響で見ることができたのはよかった。

オープニング映像を大画面で見るとすごく楽しいw 全シーズンのオープニング画面集めて映画館で上映してほしいw

主催側の撮影スポットとして、夜の王の格好をした人が立っていた他、観客としてきていた人たちの中に、デナーリス、サーセイ、辱めよさんのコスをしている人がいた

まあ、上映会ならではの感想はそんなところで

(いやあ、坂上忍とか特に見たくなかったですけどね)

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全体的な感想は、エピローグとしておおむね納得感はある。

それぞれの登場人物について、落ち着くべきところに、大体は落ち着いたかなという感じはするので。

ただまあ、気になるところがポロポロ出てくるのも事実で、そこは、やはり致命的に尺足らずだったのかなあという感じ

広げたものを頑張ってたたむことに終始していたことは否めない

しかし、これ以外にどのような別のあり方がありえたか、というとなかなか思いつかないので難しいところ。


これまでのシーズンの感想

2018冬アニメ - プリズムの煌めきの向こう側へ(シーズン1・2)

2018夏アニメ - プリズムの煌めきの向こう側へ(シーズン3・4)

ゲーム・オブ・スローンズシーズン4 - プリズムの煌めきの向こう側へ

ゲーム・オブ・スローンズ シーズン5 - プリズムの煌めきの向こう側へ

ゲースロ・シーズン6 - プリズムの煌めきの向こう側へ

ゲースロ・シーズン7 - プリズムの煌めきの向こう側へ

 ゲースロ最終章(シーズン8) - プリズムの煌めきの向こう側へ

 

デウスエクスマキナ

ドラゴンが、これでもかってくらいにデウスエクスマキナとして機能していた。

こんなにあからさまなデウスエクスマキナもないなってくらいに

「こんなもんがあるからいけないんだ」とばかりに鉄の玉座を溶かし(鉄溶かすほど高温の炎噴けるのかよ。そのそばにいるジョン大丈夫? とは思った)、デナーリスの遺体をどこかへと運び去る。

鉄の玉座とデナーリスがいる限り、戦争は止められないし、そうすると物語もしめられないですから

もちろん、デナーリスを殺したのはジョンだが、遺体を運び去ることでそのあたりを多少はうやむやにしてしまう効果はあると思う

 

キングスランディング戦とデナーリス

キングスランディングをドラゴンの炎で執拗に焼き払う第5話、そして、その後の廃墟を映す第6話冒頭

多くの人が想起したように、これらのシーンは、現実にある戦災、特に原爆による被害を思わせるものだった。

炭化した遺体や全身に火傷を負ってさまよい歩く男などは、原爆の表象として見知ったものであった。

石畳の街並みが燃えさかり逃げ惑う人々、石造りの建物の中に身を寄せ合う女子供、容赦なく処刑される捕虜(グレイワームは処刑の際、斬首ではなく喉を切り裂くのだなという話を見終わったあとにしていたら、彼は斬首の技術を身につけていないのではと言われた。ネッドは見事に首を斬り落とすことができるが、シオンは全然できないことを思い出した。首を斬り落とすことにすら、その人の身につけてきたものがでるのか)、こうした姿は、広島や長崎というよりはむしろ、パレスチナアフガニスタンイラクコソボなどなど世界中の戦場で起きているだろう情景として見るものかもしれない。

そして、デナーリスは、ドスラク人とアンサリードに対して、解放戦争を続けるという演説を行う。

かつてエッソスの奴隷を解放したように、全ウェスタロス人を不当な支配から解放するために戦う、というこの演説内容に「アメリカ」を見いだすのも、さほど難しい話ではないだろう。

ドラゴンを核の、デナーリスをアメリカのメタファーとして解釈する、というのは、それほど突飛な解釈ではない。

もっとも、ファンタジーを現実のメタファーとして読み解くべきではないというトールキンの諫言も意識しておく必要はあるだろう。とはいえ、そもそもメタファーというのもはばかれるほど、かなり直球に「アメリカ」と「アメリカによる戦争」を示していたように思える。

 

しかし、こうした政治的メタファーを通じて、一体何を描こうとしていたのか、というとそれがあまりはっきり見えてこない。

すでに述べた通り、デナーリスとドラゴンは、他ならぬドラゴン自身によってあっさりと物語の舞台から退場していく。

仮にデナーリスとドラゴンが政治的メタファーだとして、それらを、デウスエクスマキナ的に取り除くと決着します、だとすると、何だったのかという感じはしてしまう。

それよりも気になるのは、仮にデナーリスがアメリカの政治的メタファーだとして、何らかの政治的メッセージがこめられているのだとすれば、非白人=非ウェスタロス人集団の扱いがあんまりではないか、というところがある。

キングスランディングの戦いの戦後処理において、もっとも割を食ったのは、グレイワームとアンサリードなのではないか。

結局彼らはこの戦いで何も得ることができぬまま、ウェスタロスを去ることになる。

ミッサンディの故郷であるナースへと去って行く、それは物語の終わりをセンチメンタルに彩るのにはちょうどいいかもしれないが、アンサリードはナースに行ってどうするのか。ナースにだって住人はいて、彼らは突然現れた傭兵軍団を歓迎するのだろうか。

サー・ダヴォスは、アンサリードに土地を与えようとしたがグレイワームをこれを拒む。褒美のためではなく正義のために戦ったからだと言うが、そもそも彼らは、土地を与えられてもそれを使って生きていく術を持っていないのではないか。幼い頃から兵士として生きることのみを教えられた彼らは、戦い以外で生きる術を知らない。エッソスに戻った彼らは、結局まだどこかの大商人に傭兵として買われてしまうのではないか。

もし、彼らに兵士以外の生きる道を示すことができた人物がいたとするなら、それはミッサンディだったわけだが。

ドスラク人に至っては、その後が全く描かれていない。ドスラク人は、彼らをレペゼンするようなキャラクタ-が、カール・ドラゴの死後、結局登場しなかったので、そのあたりで、描写が薄くなっていたように思う。馬に乗ってヒャッハーしてる人たち、というイメージを超えることがなかった。最終的にトアマンドという魅力的な人物によってレペゼンされていた野人たちと比較すると、ドスラク人の扱いも気にかかってしまうところがある。

有色人種たちを戦争で兵士としてさんざん使い倒した挙げ句、物語内の話としてもあまり報われていないし、何かもう少し象徴的な意味合いとかもあまり与えられていないように思える。

政治的なメタファーやメッセージを発しようとしているように思わせるキングスランディングの戦いとデナーリスの演説に対して、アンサリードとドスラク人の扱いの雑さが、政治的解釈をしようとする試みを台無しにしてしまっているのではないか。

つまり、政治的メッセージやテーマがあるかのように装いつつ、結局そうしたものを描き切れていないのではないか、と。

もちろん、政治的読解を試みようとする解釈戦略自体が誤りであって、作品それ自体の瑕疵ではないということは言えるかもしれないが、しかし、政治的云々を全部うっちゃったとしても、アンサリードとドスラク人については決着がうやむやになっていると思う。

まあ、尺がもう少しあれば、もう少し丁寧に描けたのではないかなーと思うところである。

 

「物語」とは

さて、メッセージやテーマのようなものがあるとして、それをかなりはっきりと示していたのは、次の王を選ぶ際にティリオンが行った演説だろう。

「物語」こそが人々をまとめあげる力があるのだ、という主張である。

この主張内容自体は、特に問題ないと思うのだけど、ここに至る物語内の伏線的なものが十分あったのか、という点は気になっている。

ティリオンが物語とか記憶とかの重要性に気づくのは、確か、ウィンターフェルの戦いの前に、夜の王はブランを攻撃してくるという話しがあった時だったのではないかと思う。あの時も、いまいち腑に落ちる感がなかった。理屈は分かるんだけど、そうなの、と。

つまり、ブランが新王にふさわしい、何故なら彼は我々の「物語」を担っているからだ、という理屈、ちょっと説明的すぎではなかったかと。

まあここは難しいとこかな。

伏線が足りない気はするけれど、「物語」自体は確かにあちこちで顔を出していた。アリアとシーリーンはそれぞれ、建国時のターガリエンの物語(英雄譚のたぐい)が幼い頃の何らかのよりどころになっていたっぽいし。エッソスにおいて、旅芸人がジョフリーやサーセイの芝居をしていた。

あと、これは単純に自分の読解力不足によるところだと思うんだけど、サムが最後に持ってきた「氷と炎の歌」にティリオンの記述がない、というくだりの意味が、あまりよく分かっていない。

 

Bran The Brokenとその内閣

ブランって、実際、世俗権力には興味もないし超越的な存在になってしまってはいるのだろうけど、それはそれとして、ある程度未来視できる以上、こうなる展開をすべて知った上でずっと振る舞ってきたのかと思うと、それはそれで、なかなか食えん奴だなあとも思うw

これは、どっかのニュース記事か何かで読んだところだけど、スターク家の始祖がBran The Builderで壁を造った人らしくて、Bran The Brokenは対になった表現らしい。

これまた何かの記事で、ティリオンがかつてブランに対して述べた“Cripples, Bastards, and Broken Things”という台詞をあげて、ブランとティリオンが最後、王と王の手になったことを書いているものもあった。

上で、非白人に対する描き方いささかおざなりなのでは、という疑問を述べたが、一方で、本作は確かに、“Cripples, Bastards, and Broken Things”といったマイノリティを意識的に引き上げようと描いている面はあったかもしれない。

(その意味では、顔に火傷を負い醜い風貌となったハウンドが、神話と見まがうような戦闘を戦ったというのも意識しておくべきかもしれない)

ブラン政権において集められた小評議会のメンバーは、正直、最初見たとき「これはファンサービス内閣だろ」と思ってしまったが、「いやしかし、ティリオンならやりかねない人事だな」と納得させられるところもあった。

おおむね、適材適所な感じはする。ヴァリスがいないのは残念なところではあるが。

ウェスタロスの諸侯は相次ぐ戦乱でどこも疲弊しているし、すでに冬来たれりで、しばらくの間はどこも戦争する気は起きないだろう。ティリオンもおそらくその才覚を発揮するだろうし、ブロンも賢い統治者として振る舞うだろうから、とりあえずしばらくの間(数十年間)はウェスタロスに平和が訪れるだろうことは分かる。

しかし、すでに言われていることだが、ブロンの跡継ぎがいないことが次の戦乱の火種になるおそれはある。

ところで、三つ目の鴉ってどれくらい生きるの? 先代とか1000歳くらい生きていたはずで、ブロンも同様に生きる可能性が。キングスランディングにもウィアウッドあるし。でも、ブロンがウィアウッドと同化して、超長寿になったら、もう人じゃないので、王で王ではないというか。もう一種のご神体みたくなって、実権力は他の人に移りそうな気もする。

でもって、そこに政治制度が変わっていく兆しがあるのかもしれない。

 

ブロンがちゃっかり財務大臣の地位に収まって、貴族ごっこしているの笑えるんだけど、ブライエニがキングスガードになっているのも気になるところ。

キングスガードにとって、他にいないというくらいうってつけの人材であるのは確かだが、ブライエニ自身の観点からすると、サンサの元に戻るという選択肢もあったのでは、と思ったりもする。

愛と義務という話があったわけだが、そういう意味では、ブライエニは、サンサへの義務よりもジェイミーへの愛を優先させたのだろうか、と思ったりもする。

あの歴代キングスガードの記録書にジェイミーのことを書いていくシーンは、非常に感動的なシーンだった。あれもまた「物語」である。

 

サンサ一人勝ち

先ほど、グレイワームとアンサリードが一番割を食ったと書いたが、その逆に、一番得したのはサンサだろう。

サンサ一人勝ちといってもいいようなラストだ。

もちろん、ジョンの処遇をめぐっては彼女は納得していないところがあるだろうが、まあそうはいってもジョンは助かっているのだし、彼が罰せられなかったとしてよい統治者(七王国であれ北部であれ)になれた気がしない。

ブランが王に選ばれた場で、さらりと北部の独立をもぎとっていく豪腕さ。七王国を六王国にしてしまうの、下手すると鉄の玉座につくのより難しいし、やはり最大の勝者という感じがする。

鉄諸島やドーンは思うところあったのでは、という気はする。

 

ところで、結果的に、非北部人が北部からいなくなったという結末にもなっているのだな、と思った。

すでに述べた通り、ブライエニはサンサの元にいるのではなくキングスガードとなったし、サムもカーセルブラックに戻らずグランドメイスターの地位に就く。

サムもブライエニと同様、北部へ戻る選択肢がなかったわけではないはず。メイスターになっている以上、どっちしにろターリー家に戻る気はないのだし、ジョンと一緒に壁の北まで行くかはともかく、カーセルブラックにいた方がジョンと会える機会は多いだろうし、ジリの肌にあうのは北部だろう。

もっとも、サム本人の視点からすると、グランドメイスターの地位に就けるとなれば一も二もなくそれを選ぶだろうなというのは想像に難くないが。

いずれにせよ、ブライエニとサムについては、小評議会のメンバーになるという選択肢も非常に適しているとは思うけれど、北部に戻るという選択肢も十分考えられるものではあったと思う。

そして、ブライエニとサンサの別れ、サムとジョンの別れは描かれていない。

ウィンターフェルの戦い前夜、ホワイトウォーカーと死の軍団と戦うべく、ウィンターフェルにはまさに全員集合状態で、あらゆる集団を代表する人たちが集まっていた。キングスランディングにいるサーセイ側の人材の乏しさと対照的で、非常に多様性に富んだ光景がそこにはあった。

しかし、サンサの勝利した北部は、北部人によって純化したようにも思える。

多様性に対して「純化」というワードを置くと、これはなかなか政治的にはネガティブな感じになるが、しかし一方で、これを野人の視点で見てみると、彼らは奪われた自分たちの土地に帰還し、彼らの生活を取り戻しており、先住民としてのアイデンティティを取り戻した、というポジティブな物語として捉えることもできるかなと思う

(もっとも、彼らの今後を考えると、あの人数の少なさでやっていけるのかなと不安にもなるが)

 

ジョンの処遇

いち視聴者としては、彼のラストは、収まるべきところに収まったなという感じがする。ジョンって野人たちと一緒に生きるのが一番いいような気がする。彼の馬鹿正直な気質って、トアマンドたちの信頼を得るのには十分だったけれど、宮廷にはとても向かないものであったし、彼自身、自由の民の自由さに惹かれているようだったし。

また、視聴者視点からすると、デナーリスにも感情移入しているし、デナーリスを殺したジョンに罰が与えられることというのも、納得感はある。

しかし、ウェスタロス人視点からすると、デナーリスなんて征服者以外の何者でもないし、そんな強大な軍事力を持つ征服者を仕留めたジョンは、英雄以外の何者でもないとも言える。

政治的に祭り上げられる余地は十二分にあった。

 

ラニスター家

サーセイとジェイミーの死はあれでよかったんでしょうかねー

まあ、色々と(作品的には)悪くないラストだったのではないかと思うけど、サーセイの死に方に納得しない視聴者はいそう。

 

選帝侯会議

という名称はないけど、ブロンを王に選んだ会議の名称が不明なのでとりあえずそう呼ぶ。

あれのメンバーって誰だったんだろう。

スターク家代表のサンサ、ブロン(+アリア)、サンサの叔父(何家?→あ、あれエドミュア・タリーだったのか!)、バラシオン家のジェンダリー、アリン家のロビン(と家令?)、鉄諸島のヤーラ。ドーンの人。ターリー家のサム(タイレル家がすでにないからタイレル家の旗手として参加なのか?)、サー・ダヴォス(選挙権はないと述べていたのでオブザーバーとしての参加だろう)

で、ブライエニ。投票してたけど、何代表なの? タース家はバラシオン家の旗手ではあるけど、あの場に並べるだけの名家なのか?